見出し画像

0527 猫に申し訳なくて、情けない。

今日はステロイド投薬から1週間目、本当なら猫の通院日だった。

ステロイドが劇的に効果をみせた場合は、次の抗がん剤ステップに移行する選択をするつもりだったが、この3、4日はもうごはんを受け付けないようになり、昨日からはミルクか水を3滴ほど口にするくらいになってしまったので、ステロイドは奇跡を起こしてくれなかったように思う。

迷ったけれど、病院には行かなかった。もう病院につれて行くことはやめる。点滴もしない。先生にはまたお伝えしに行こうと思う。

体重は1.65キロ。
よく生きてるなあと驚くような軽さなのに、水やミルクを飲ませようとすると拒否する力は圧倒されるほど強い。

どこからあんな力が出るのだろう。強靱な精神を感じる。

今日は、初めてトイレに失敗した。
シャーは野良猫の親から生まれたのを保護された猫なのだが、うちにきた生後4か月くらいの頃から、一度もトイレに失敗したことがない。

猫用のトイレを置いて、保護した方が使われていた猫砂を少し混ぜておいただけなのに、誰に言われるでもなく、そのトイレを自分用だと認識し、以来、粗相をしたことがない。

この3、4日は、トイレからいちばん遠いわたしたちの寝室のベッドで過ごすのを好むようになったのだが、それはトイレまでの長い距離を体力を削って歩かねばならないことを意味する。

つるつる滑る廊下。爪のひっかからないリビングの木の床を越えて、ようやく和室の窓際に置かれたトイレに辿りつくまでに、幾度となく足を滑らせ、何度もよろけて壁にぶつかり、時には転倒しながらもそのトイレを目指す。

簡易のトイレを寝室のそばに置いて、遠くまで歩かないで済むようにしたり、和室のトイレの近くで過ごせるように、ベッドや猫タワーの小部屋を置いたりしているのだが、そのどちらも選ばない。

どんなに遠くても、日中を過ごしたいのは寝室で、トイレはいつもの和室の奥なのだ。
おぼつかない足取りだけれど、そこに14年間やってきたことを変えないという揺るぎない決意を感じる。

でも、今日は、あと30センチのところで間に合わずに畳を濡らしてしまった。濡らしながらもその後トイレに入り、しばらく出てこなかった。
シャーにはシャーの流儀があるのだ。

猫用のおむつもあると読んだが、彼女がトイレに行く自由を奪うことはわたしにはできない。

今日も寝室とトイレを何往復もしていた。どんなに体力を奪っているのか想像もできない。

夕方、またトイレのスロープ(段差をなくすために簡易のものを設置した)で足を滑らせながら猫砂の上に立っていたので、出てくるときによろけないように補助しようと待っていたが、5分経っても出てこない。

小屋のようにおおっているカバーのなかをのぞいてみると、シャーが横座りになってへたっていた。力が出ずに出られなくなったのだろうか。

両手を差し入れて外に出そうとすると、ものすごい力でまた拒否する。なんとか外に出すが、また入ろうとする。

迷ったが、そのまま抱きかかえて寝室へ連れて行こうとしたら、歩きながらわたしの太ももがじっとり濡れているのを感じて、振り返ると廊下に点々と水滴の跡がある。

ああ、ちゃんと出たんだな。出したかったんだな。

心から申し訳なくて、泣きそうになった。
シャーのことを信用していない自分に腹が立った。14年以上もつき合ってきたのに、全然シャーのことをわかってない。情けなかった。

寝室も少し濡れたので、シャーに少し横にどいておいてもらって、シーツを替えた。

きっとまたトイレに行こうとするだろう。
失敗するかもしれない。
というより、失敗しない方が奇跡のようだよ。

すごい。ほんとにかしこい猫だなあ。

疲れることばかりの毎日なんだろうな。冷たいはずの耳も熱い。熱もあるんだろう。それなのに動きまわる。たぶん自分でもそのしんどさが理解できないのだろうと思う。母の最期もそうだった。身の置きどころのない苦しさ。スピリチュアルペイン。
猫はそんなふうには苦しまないとも聞いた。ただ身体のしんどさだけはあるだろう。

命を削って生きている。今も眠っている。眠ることが生きることでもある。
これ以上なく、かわゆく眠っている。いつだってかわゆく生きている。
今日もわたしのそばにいてくれてありがとう。
わたしの特別な猫。