台風一過のあとは晴れるんだけど
『台風クラブ』(1985/日本)監督: 相米 慎二 出演三上祐一/紅林茂/松永敏行/工藤夕貴/大西結花/会沢朋子
多分リアルタイムでこの映画を観た世代にとっては、これほどの等身大映画はないわけです。例えばそれ以前だったら吉永小百合の日活映画がそうだったかもしれず、それ以後だったら『桐島、部活やめるってよ』がそうなのかもしれずアニメ世代だったら『涼宮ハルヒの憂鬱』なのかもしれない。
ただ自分たちの世代では圧倒的に『台風クラブ』なんだなと思ってしまった。それは薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』にはない思春期のもやもやと爆発と台風一過(通過儀礼)を描いたから他ならないのだが、もろ解説でも触れられている点なのである。
一つはゴダールの影響下にある、ちょっと間抜けな女の子とカッコつけ男の子の青春映画。ただ日本の特殊事情なのかクラスという単位で見せたのが魅力的だったのか?
まずお決まりのダンスシーンは、和製レゲエなんですね。当時もっとも尖っていたかもしれないです。ボブ・マリーの「ラスタ」の思想も入っていると思う。台風クラブという文化祭でもない自然現象の非日常的な祭りとも言えないけど原初の祭りに近い通過儀礼の世界を描いている。
何よりもアイドルでもなく不良少年でもないけど、ちょっとだけ学校から外れていく様子が上手く捉えられている。それは最初の夜のプールのシーン。そういうことはなかったかもしれないが、あり得たかもしれない世界。そこで同級生が死にそうなり、恥ずかしい人工呼吸まで行われる。人工呼吸は授業に則っているわけだが、それまでが学校の禁止行為だった。
それは極端な不良というのでもないが、煙草ぐらい隠れて吸うよという程度の中学生。当時の中学生としてはませていたが、そこまで不良でもない生徒はあり得たかもしれない。まずそれは表には出なかったことなんだ。
それとラストで歌われるわらべ『もしも明日が晴れならば』は、当時茶の間でも人気番組であった『金どこ』でのアイドルが歌っていたアイドルソングなわけです。それはほとんど親世代が夢見ていた家庭の団欒風景でした。
ただその頃に『積木くずし』という芸能人一家を取り巻く親子対立のドラマがヒットしていた。その主演アイドルが、わらべ(漢字にすると「童」ですね)の高部知子だった。その彼女のフライデー写真が彼氏とのベッドでの喫煙写真がすっぱ抜かれまして、アイドル失墜。わらべも解散することになりTVの裏側の恐ろしさを感じたものです。
ただその程度のことはお馬鹿な女子中学生にはあり得たかもしれない事件だった。それを後に『少女A』として歌ったのが中森明菜だった。アイドルが後から具現化しているのです。
ただここでは高部知子のような女の子は出て来ない。工藤夕貴演じる理恵は、東京という魔都(田舎からすれば誘惑の多いデンジャラスゾーン)に憧れ、家出してまで行きたい場所だった(それはTVでの影響でしょう)。実際に大学生風の男と知り合い危ない目にも会う。それを切り抜けられたのが通過儀礼という少女の知恵にあったのだと思うのだが、それは紙一重の差だったかもしれない。
そういう境界例的なシーンが多く出てくる。例えば、清水健という思春期のもやもやした性欲を抱えている男子がいる。それはこういう映画の場合悪友だったが、彼はクラスメートとして、男子が持つ危ない性欲として描いている。相米慎二監督は日活ロマンポルノの助監督をしていたから、こういう描写が非常に上手い。ホラー映画になっている。
しかし、彼は異常者という烙印を押されることなく男子として通過儀礼を体験していく。このへんは今のポリゴレ映画としては問題なのかもしれない。あの時代だから撮れたということもあるのかもしれない。
工藤夕貴と清水健という中学生から外れていく者たち。しかし、この映画では優等生の三上恭一の挫折の映画でもある。彼は通過儀礼が出来なかった。それは三浦友和の教師。彼は子供を保護するということを拒否する。それはプライベートな教師外時間だったから。金八先生とは違い、教師の前に男だったという先生だ。
そして三上の他に潔癖症の美智子も彼を嫌っている。しかし彼女は潔癖症で居られなくなったのは男子生徒に襲われたから。それが台風という通過儀礼を表している。
三上は優等生でクラスでも持てて信頼がおける生徒なのに、自殺するのだ。通過儀礼が上手く出来なかった。教師に電話で15年もしたら俺と同じになると言われ、それを拒否したとも取れる。ただその姿があまりカッコいいものではない。このシーンはいろいろ重ねられる。三島の自決とか。
圧巻は、やっぱ工藤夕貴の演技ですかね。『もしも明日晴れならば』を絶叫するシーンが見事過ぎる。
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