見出し画像

平和憲法たんぽぽのわたよ地に落ちよ

『あたらしい憲法のはなし』(文部省)

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』

日本国憲法第九条を改正すべきか否か、決断を迫られる時代が近づきつつある。しかし、立憲主義、つまり、そもそも何のための憲法かを問う視点が見落とされてきた。その核心にある問いにたちかえり、憲法と平和の関係を根底からとらえなおす。情緒論に陥りがちなこの難問を冷静に考え抜くための手がかりを鮮やかに示す。

民主主義(多数決)では解決できない(使うべきではない)問題があり、それを踏み越えさせない為にあるのが立憲主義の眼目である。異なる価値観の中ですべての人が持つ自己保存への権利がこれである。憲法は国家によって生命、自由、財産を奪わない。第9条について。「表現の自由」を述べた第21条と照らし合わせて、「表現の自由」を与えたからと云ってプライバシーの侵害や名誉毀損を認めたわけではなく、それを制限する規則(準則)に改訂されるものではない。憲法は準則(ルール)ではなく原理を表す。

憲法9条が戦争の放棄、戦力の放棄を述べているからといって安全保障を放棄したわけでもない。それに伴う自衛隊は憲法9条内で保持できるという考えだった。とりあえず原理としての線を引くこと(ここでは戦争放棄)。その線によって周辺諸国へのメッセージを送る政治的意味合いもあるという。(2012/12/22)

長谷部 恭男,石田 勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』

ドイツ近自民党が狙う緊急事態条項の正体!
ここからナチ独裁は始まった!
 自民党が、ながらく憲法に加えることを狙ってきた緊急事態条項。災害・テロ発生時への対策だというのが表向きの説明だ。しかし、首相に権限を集中させ、国民の権利を制限するこの条項に別の意図はないのか。
 じつはヒトラー独裁の始まりは、ワイマール憲法に書かれた同様の条項だった。
 憲法学界の重鎮が、ナチ・ドイツ研究の最先端をいく歴史家とこの条項の危うさを徹底的に解明する。

ドイツ近現代史の先生石田勇治と憲法学者の長谷部恭男が自民党が出した「憲法過程草案(特に緊急事態条項中心に)」問題点を明らかにしていく対談。ワイマール憲法化のドイツで如何にナチ政権となったのか?その反省から今のドイツの憲法は?各国の(アメリカとフランス)の「緊急事態条項」の権限と「統治行為論」など。

「ナチスの手口」というのは副総理の麻生太郎が当時最も進んだ憲法とされたワイマール憲法下のドイツで「大統領緊急措置権」を利用してヒトラーがナチ独裁国家へと変貌を遂げたことを言っている。なんとも恐ろしい話だけど。

ヒトラーはそのとき大統領ではなかった。大統領はヒンデンブルクで連立内閣で首相がヒトラーになった。ヒンデンブルクの与党が弱くて野党乱立で何も決められない政治状況で世界恐慌もあり世論が強い指導者を求めた。第一次世界大戦の敗戦とその領土を取り戻すことを望む強い国家と突き進んでいく。

その反省から戦後のドイツでは憲法は不変とする「ボン基本法」が出来てくる。それでも最初から今の形になったのではなくドイツも戦後しばらくは共産主義の防波堤ということもあり、保守化していくなかでアウシュヴィッツの無関心な国民が多かった。映画『顔のないヒトラーたち』で描かれていた。ナチスを支持した親の世代をその息子たちが告発するという弁護士の映画で今の日本のように歴史修正主義がまかり通っていた。

それでも外国からの告発(アイヒマン裁判の影響が大きかったとか)とアメリカのドラマ「ホロコースト」の影響もあって次第に事実に直面せざる得ない若者が増えた。親の世代は直接謝罪の言葉はなかった。それがホロコーストの犠牲者の抹殺に繋がった(「アウシュヴィッツ」はなかった)。子供の世代は直接的にはホロコーストの罪はないけどそれを正しく伝えないのは罪になる。それがボン基本法の精神となって「人間の尊厳」という基本原理は変えることは出来なくなっている。

今の安倍首相は戦争犯罪に向き合うことを避けて未来志向という詭弁の中で憲法改正(改悪)をしようとしている。まあ現憲法を守れない人達が憲法を作成しようとすること事態おかしなことなんだけど。(2018/01/21)

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi087.pdf/$File/shukenshi087.pdf「緊急事態」に関する資料 - 衆議院

内山奈月・南野森『憲法主義』

もしも国民的アイドルが、日本国憲法を本気で学んだら……。
日本武道館のステージで憲法を暗唱して聴衆を沸かせた高校生(当時)アイドルが、気鋭の憲法学者による講義をマンツーマンで受けた結果、日本一わかりやすい憲法の入門書ができました!
とはいえ、「人権論」から「統治機構論」へと展開する本書の内容は、かなり本格的なもの。「表現の自由」が憲法全体に果たす役割の重さには驚きを禁じえません。また、恋愛の自由、パパラッチの問題など、アイドルなら気にせずにはいられない事象についても、真正面から論じています。さらには、今夏、国内外で注視されている「集団的自衛権」の問題についても、ガチンコで議論を戦わせている大注目の1冊です。
「大学で憲法を専門的に勉強している学生にも読んでほしい」(南野)
「基本を理解し、守り、発展させることの重要性を学びました」(内山)

第1講「憲法とは何か」――?憲法は他の法律と比べて何が違うのか
第2講「人権と立憲主義」――アイドルの「恋愛禁止」は憲法違反か
第3講「国民主権と選挙」――質の高い代表を選出するための工夫
第4講「内閣と違憲審査制」――国会・内閣・裁判所の民主的正統性について
第5講「憲法の変化と未来」――憲法が変化する場合とその手続きについて

今年の参院選では改憲論議が出てくる。何よりも「解釈改憲」という言葉でどうでもいいように憲法の無化作用が行われている国会。なんのための憲法なのかをもう一度学び直すには良書だ。憲法学者の南野森の講義とそれを受講する優等生内山奈月(AKB)。この『憲法主義』には出てこなかったけど憲法の前文の重要性。前文と9条だけ覚えていればいいと思っていたぐらいで、今回初めて全文通して読んでみた。巻末に憲法全文が載っているのもこの本の良いところ。あと内山奈月のノートとまとめがわかりやすく賢い子だ。家庭教師になって貰いぐらいに。

憲法は国家権力が暴走しないように定めた日本の最高法規で、国民を対象とした法規ではない。国民というか外国人も含めて人民に対しては民法があるわけで、その上に立つ憲法は先の敗戦の教訓を踏まえて君主主権だった大日本的国憲法から国民主権の現日本国憲法に変わった(変えられた?)憲法。

9条の1項は武力の法規を謳っているのだが、問題とされる2項の「前項の目的を達するため」というのがGHQの草案に芦田内閣が付け足した文章で、それが自衛権の根拠となっているもので軍隊は持たないけど自衛権を行使する武器は放棄したのではないよというのが自衛隊ということだった。自衛隊が軍隊かどうかも問題としてある。だから自衛隊は違憲なんだが、もうすでに「解釈改憲」が行われていたんだよね。さらにそこから発展して集団的自衛権が今回出てきた。これはアメリカの為だということ。自衛権を盾にしてアメリカの戦争に加担すること。(2016/01/06)

柄谷行人『憲法の無意識』

なぜ戦後70年を経てもなお改憲は実現しないのか。なぜ九条は実行されていないのに残されているのか。改憲、護憲の議論が見逃しているものは何か。糸口は「無意識」である。日本人の歴史的・集団的無意識に分け入り、「戦争の末の」平和ではない、世界平和への道筋を示す。デモで社会を変え、国際社会に九条を贈与しよう。「憲法の無意識」が政治の危機に立ち現れる。

現憲法がGHQ(外部)によって作られたことは事実だが、それでも強制したアメリカ国家は憲法改正を要求してきたが(朝鮮戦争)、日本人はそれに従わなかった。当時の政権(吉田茂)は曖昧な形で自衛隊を作ったのだが自発的に9条を支持していた。9条(戦争放棄)は1条(象徴天皇制)との兼ね合いで出来た。現憲法の1条は天皇制(国体)を守るためにGHQと天皇の間で了解されたものだ。天皇の戦争責任は問わないが天皇をGHQが利用する。戦争犯罪を問えば天皇を利用する反対勢力による占領政策による弊害が大きい。

明治憲法が自発的で戦後憲法が自発的でないというのはバカげている。明治憲法は当時の国民によって作られたのではなく元老として権力を維持しようとする勢力によって作られた。彼らは軍を握るために天皇の統帥権を設定したがそれが後に暴走する(日中戦争・太平洋戦争)。そして敗戦の責任を天皇は取らなかった。ソ連や中国を牽制しつつGHQは天皇と手を組んだ。だから9条を廃止することは再び天皇の戦争犯罪を問われることになる(1条の無効化)。平成天皇が象徴として天皇の地位を守りたいのは現憲法を守ること他ならない。

それで9条の成り立ちとしては、国連憲章(カントの「永遠平和のために」)の理念。国連が出来たのは第二次世界大戦の反省から、人間は自然状態であるならば戦争は避けられないことだがその傷痕(スティグマか?)から再生するには検閲(無意識の「死の欲動」による検閲)が必要になってくる。それは国家間による連合(現在の失敗例)よりは共和国のリーダーの元への連合となるはずだ。後半はマルクス主義とか出てきて取り散らかってわかりにくい。憲法9条がその先験的な役割として国際社会に出ていくべきではないか?そんなところか。

後半はマルクス主義とか出てきて取り散らかってわかりにく。とにかく国家間による連合ではなく文化的なものか?それでも宗教対立はあるのだと思うのだが。日本の憲法9条がその先験的な役割として国際社会に出ていくべきではないか?そんなところか。無理無理な理想論ではあるが。(2018/09/08)

中江 兆民 (著), 鶴ヶ谷 真一 (翻訳)『三酔人経綸問答』

自由平等・絶対平和の追求を主張する洋学紳士君と軍備拡張で対外侵略を、と激する豪傑君に対し、南海先生の持論は二人に「陳腐」と思われて……。自らの真意を絶妙な距離感で「思想劇」に仕立てた中江兆民の代表作。未来を見通した眼力が、近代日本の問題の核心を突く!

安倍政権が憲法改憲を仕掛けてきている今だからこそ読んで欲しい本かも。憲法9条の非戦非武装の思想は明治初期の中江兆民の思想の中にあった。ルソーの『社会契約論』を翻訳・解説した人だから論理的だ。軍拡、対外侵略も考察する。自由平等の平和主義の洋学紳士と軍拡・帝国主義の豪傑君、そのまとめ役の南海先生は中庸というか、いきなり理想論の先進すぎても破綻するだけだという論理。その他に外注で「眉批」は南海先生にもチャチを入れる外野の観客。

民権を下から勝ち取った(フランス革命)と賜った民権(明治維新)も考察。日本はどうしても下からの改革は出来ないで、外圧というパターンになるのは島国だからなのか。軍拡・帝国主義の道を歩んでいったけど見事に壊滅したわけだ。(2017/06/29)

赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』

刺激的な本である。『東京プリズン』を書きながら親の世代が戦後日本の成り立ちで伝えなかったこと総括してこなかったことを私情を含んだところから(母との関係とアメリカ留学体験)問題意識化して仮想ディベートしている。論述というよりエッセイ。

『東京プリズン』でも書いていたが天皇の戦争責任がなぜ問われなかったのか?それはアメリカが日本や天皇を思いやってというより、占領統治がし易いと考えたから。占領国での裁判で日本人でそれを問う者もいなかったというより問えなかった。戦後の復興という波に紛れてそのことを不問にしてきた。

それで60年安保ではA級戦犯であった岸首相を退陣までは追い込むがアメリカとの関係(安全保障問題)までは踏み込めなかった。岸が日本の首相になったのも占領軍の思惑(対共産圏)によるものだ。日本の国体として天皇から米軍という形で入れ替わったのが戦後の日本だった。敗戦は天皇の降伏だった。

赤坂真理が参考にしているのがジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』。その「抱きしめて」という言い方に性的なニュアンスがあるという。それまでは鬼畜米兵だった者がいつの間にかアイ・ラブ・アメリカになってしまった。ハリウッド映画の効用とかあるんだろうな。漢になるからヤンキーに憧れるという感じか。

例えば東京オリンピック誘致の滝川クリステルの「おもてなし」という言い方。そのときのスタイルがスッチー(今では死語になっているが)のようだったと。昔はスッチーで今は女子アナのあり方が戦後日本のあり方だったのかと。米軍に対する「おもいやり」予算とか。日本とアメリカの関係がいびつなわけ。(2014/06/16)

映画

『ヤクザと憲法』

場所柄なのか動員がかかっているのかと思うほど混雑していた映画館。何がそれほど引きつけるのか?憲法?いやヤクザか?ヤクザと憲法という組み合わせなのか?主役はヤクザだよね。アウトローの人達が憲法とか言うのがおかしい。ヤクザならヤクザの掟があるだろうに。憲法が恋しい..

ヤクザが恋した憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」だった。第13条かと思った(TVドラマ『わたしを離さないで』に出てきた)ら、第13条は「公共の福祉に反しない限り」が、基本的人権を言ってたんだど、銀行の口座が作れないとか、子供が幼稚園に入れないとか(保育園は一般人も入れない?)、宅急便が届かないとか。指定暴力団は排除される法律が出来て、ヤクザを抜けない限りいろいろ制約があるということだった。抜けても5年以上過ぎないと一般人と認められないとか。(2016/03/03)

『天皇と軍隊』


フランスのテレビ番組をフランス在住の日本人が日本の戦後の奇妙さを描いたドキュメンタリー。最初に引用されるのがバトルの「表徴の帝国」で俯瞰で映る都会の中の皇居。戦後のGHQが作った憲法の1条と9条の成り立ちを説明していく。天皇の処置をどうするのかという戦後処理の問題。

衝撃的なのは天皇のインタビューで原爆のことを聞かれ「已む得ない」と答えこと。アメリカ側に配慮したのか、日本の敗戦が決められなかったことへの反省なのか、この言葉の意味するところをもう一度考える必要がある。(2015/08/21)


ETV「日本人は何を考えてきたか・近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」

再放送でまた観たが、この言葉と行動という面で先の校長と合わせて見ると面白いと思う。西田も大正デモクラシーの時代に哲学に目覚めた。それが知らずのうちに国家権力によって取り込まれる。近代の超克ということで。

言葉に真摯に取り組んできた哲学者がどうして取り込まれることになったのか。最初は西田も帝国主義に日本文化が主体化されるのを警戒していた。京都帝国大学出身の近衛文麿が総理大臣となりアジア共栄圏構想など戦時体制のブレーンとなって西田と京都学派はアジア支配を正当化する論理展開していく。

戦争へのアンダーカレントの底流がやがて濁流となって飲み込まれ行く。ドイツ留学でハイデッカーに学んだ西田の弟子である三木清らを中心とする京都学派による秘密会合「大東亜共栄圏」の論理。集団自衛権に似ているな。戦争の論理を構築していく。三木清宣伝班で戦場に「私の体は不死身です」の手紙。

空や無を唱えていた西田が大東亜共栄圏の中心を担うのは日本しかないという論理。その西田の晩年の言葉は「武力によって栄えた国はない」。また三木清が戦場から戻ったときの感想は、近代戦における非情な戦争の姿に「日本の甘い観念論」、「浪漫的な形而上学」では乗りきれるものではないと。


参考書籍

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

かつて、普通のよき日本人が「もう戦争しかない」と思った。
世界最高の頭脳たちが「やむなし」と決断した。

世界を絶望の淵に追いやりながら、戦争はきまじめともいうべき相貌をたたえて起こり続けた。

その論理を直視できなければ、かたちを変えて戦争は起こり続ける。

だからいま、高校生と考える戦争史講座。
日清戦争から太平洋戦争まで。講義のなかで、戦争を生きる。

*
生徒さんには、自分が作戦計画の立案者であったなら、自分が満州移民として送り出される立場であったならなどと授業のなかで考えてもらいました。講義の間だけ戦争を生きてもらいました。

序章に憲法の話が出てくるがちょっとこれは読んだ方がいい。憲法なんてあまり気にしてなかったけど、自民党の改革案を見て驚いてしまった。「自民の、自民による、自民のための」憲法だ。

戦争放棄をうたったのも武力によるものでなくて外交によって平和を形作ろうという理念からだ。外交の失敗を武力に求めるのではなく。国防軍が自衛隊の延長ならそもそも自衛隊は軍隊なんだよ。その意味で自民党は憲法を守らず裏切ってきたわけだ。それで憲法改正案で国民に憲法を守れって。

自民の改正案で問題なのは、天皇を国家の元首とする。国防軍を置く。主権が国民ではなく国体になってしまう。それはすべて帝国憲法から現憲法に変えられたことをまた元に戻そうするもの。前文はリンカーンの「人民の、人民による、人民のための」を踏まえて書かれているのを変えようとしている。

自民党の憲法改正案があまりにも酷い。現憲法が戦後に書き換えられたのは帝国憲法の下に戦争をして320万人が亡くなりアメリカに敗戦した。そのアメリカによって民主主義が持ち込まれた。敗戦国が戦勝国に憲法を書き換えられるのはよくあることだそうだ。ただそれはアメリカが作ったわけではない。(2012/12/08)

白井聡『国体論 菊と星条旗』

副題の「菊と星条旗」はベネディクト『菊と刀』を模したのだろう。アメリカは日本の敗戦前にすでに戦後処理を研究していた。天皇がマッカーサーの語った言葉「全責任を負う」という天皇の言葉を聞いて、マッカーサーが感動したというエピソードは、天皇制の存続を決めたとされるが、実際はすでに戦後処理はそう決まっていて、そうした美談を物語ることによってマッカーサーの元帥としての地位を安泰させること。鬼畜米兵から天皇の腹心となる。天皇制を利用して、天皇の代わりに権力を得る従来の二重構造の「国体護持」に他ならない。

それを象徴するのが天皇と並んで撮った写真で、天皇は神から人間宣言する地位に象徴として置かれた。GHQの取り引きで天皇制は存続。その代償が戦争の放棄(9条)だった。坂口安吾が『堕落論』で衝いた天皇崇拝者の二重意識はまさにそのことを批判していた。その元になる藤原氏の執政は自身が天皇に服するように見せかけて権力を行使し人民を支配する構造で戦時も戦後の憲法も天皇を冒涜していながら盲目的に崇拝している、と。戦後民主主義政治の実体は米軍従属というナンセンスである。砂川事件はその事例(米軍が日本の最高裁を牛耳る)。

ポツダム宣言の日本側の受諾条件は「国体護持」だった。それを受けて天皇を加えた御前会議で「御聖断」がくだされ、連合国側に「国体護持(天皇の国家統治の大権)」が保証されるか確認した。そのときの連合国の回答を権限の制限(subject to)と解釈したのが日本だった。英語解釈の常識に照らせば(subject to)は「隷属する」で陸軍はそう解釈して対立したが、占領期の目的が達成された後には日本国民の意志に委ねられるので「君主制廃絶」を意図するものではないと判断を下す。

戦後レジームの形成期に日米安保条約を巡る議論に「片面講和条約(アメリカとの)か全面講和条約(ソ連・中国を交えた)を問われたが、親米保守勢力は日米安保条約として片面講和条約によって主権は回復できるとした。1960年の安保闘争になる。しかし条約は阻止できず岸内閣の退陣となった。安保闘争は全学連闘争に引き継がれるが戦後の「国体」の安定をもたらした。岸内閣の退陣は戦後民主主義の前進であり、条約阻止できなかった(30万の国会デモ)のは戦後民主主義の限界として、米軍従属の「国体護持」が安定していく。

「戦前の国体」は「天皇の国民」から「国民の天皇」(2.26事件に影響を与えた北一輝の理念)に至ったが挫折し、天皇の名の元に軍部の独裁政権になっていく。「戦後の国体」は「アメリカの日本」から「日本のアメリカ」になってアメリカの元で軍事的従属国家になっている。「愛国=親米」という図式が親米政権に異なる意見を持つ者をすべて反日=左翼でくくる(沖縄基地問題)。欧米の仲間入りで、アジアで唯一の一等国としての観念だけで、実際には経済不況を顧みない国民と政治家たち。アメリカの属国としての国体を再定義する必要がある。(2019/10/31)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?