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シン・俳句レッスン32

なんか実が落ちていると写真を撮って調べたらヤマボウシの実だった。食べられるそうなのである。

食べるよりは俳句作りに役立てたい。「山法師の花」で挽歌。ならば山法師の実で秋でいいのか。今気がついたのだけど漢字で書くと山法師なんだ。山帽子かと思っていた。山帽子でもいいようだ。ハナミズキはアメリカン・ヤマボウシだという。ハナミズキも実がなるのだろうか?赤い小さな実がなるのだが、毒性があり食べることは出来ないという。

山法師食えぬ法師はハナミズキ

まともな句が詠めない。写生句だよな。基本は。

ヤマボウシ金平糖がなる木かな

安住あつし

川名大『昭和安住あつし俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』から「安住あつし」。

ほとんど川名大ぐらいしか取り上げないではないかというぐらいに無視されてもいい俳人だったのだ。それは『ミヤコ・ホテル』の日野草城以上にセンチメンタルで俳句精神とは程遠い甘ったるさというような批評だったのかと思う。実際に俳句というよりは短歌のようだ。通俗短歌と言ってもいいかもしれない。ただ俳句の世界でこっちが主流となっていたならば、俳句界でも俵万智が登場して席巻しただろうと思われる。それを食い止めるためにオヤジたちはナッシングを突きつけたのだ。なんなればそれは女給俳句と言われるものだったのだから。

鯛焼きのあつきを食むもわびしからずや
くちすへばほゝづきありぬあはれあはれ
アパートに住みなれにつゝ冬は来ぬ
ついにかもかなし鯛焼きを拭きつゝ食む
雪しまきしまけば明日は欠勤(やす)ましめむ

安住あつしは下級官吏であったが俳句では女給の妻との句を作り続けた。それは安住あつしの表舞台に出ない顔であり、当時の官吏職は妻のアルバイト(ましてはカフェの女給なんぞ)は禁じられていたので、他愛もないフィクションだと思われていたのだという。しかし川名大はそこに事実を読み取るのは『まづしき饗宴』で安住あつしの俳句がまとめられ、三部に分けてまとめられているのだが、第一部が『幼なづま』で女給の妻の句でしまられている。そして次の章ではその別れと男の心境。第三部に現妻との暮らしが句として読まれている。そして第三部にも鯛焼きの句が出てくるのを突き止める。

鯛焼きを食めばむかしのをんなとなる

鯛焼きを甘くみたな。これを突きつけられたらぐうの音(ね)も出まい。

安住あつしの重要性は硬派である『旗艦』の中でセンチメンタルな抒情俳句を読み続けたことにある。それは、戦時中の新興俳句のカモフラージュになったという。そこから富沢赤黄男や藤木清子が出てきたのだ。もっとも富澤赤黄男は安住あつしとは逆に抒情から精神的方向に向かうのだが。

幸せは山法師の実ついばむや

藤木清子

過去葬りし現実に電車軋りくる
真つ黒な過去噴水に散つてゆく
赤きホテル薄きカアテン垂れてしづか
園閑散けものの昼寝みてありく
屋上園涼しき恋をみて涼し
舗道灼けトーア・アパート花車に擬す
日本に古り住み泰山木咲けり
きりぎりす昼が沈んでゆくおもひ
夾竹桃外科医手術の手を洗ふ
戦争の硬き街ゆき雨月なる

『旗艦』に投稿する藤木清子は、新興俳句の精神というよりも抒情の安住あつしや日野草城の影響が強い感じがする。「屋上園涼しき恋をみて涼し」はデートだろうか?しかし、全体的に明るい感じがしないのは寡婦ゆえなのか。

「舗道灼けトーア・アパート花車に擬す」は神戸の山手街。西東三鬼が京大俳句事件で逃亡生活をしていたときに住んでいたという(この句のかなり後だが)。そういう場所なのである。花車は「かしゃ」かな。遊女などを指揮する茶屋の女主人とある。


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