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シン・俳句レッスン52

どんぐりだと子供っぽいから椎の実か?椎の実は落ちる音なんだな。

椎の実や一つ落ちては時進む

凡人クラスだな。落ちるからもう一つ枝を張らねばなるまい。「落下する」にしよう。

落下する椎の実一つ夢覚めて

ロマンチックすぎるな。

落下する椎の実一つ仏壇へ

鶯と蛙

鶯や餅に糞する縁の先  松尾芭蕉

テキスト、上野洋三『芭蕉の表現』から。当時「点取俳句」が流行し、それを諫めるために芭蕉は弟子たちに時流に乗った俳句ではなく、「不易流行」を説いた。それは古典の雅の世界を研究し、江戸の町人文化である俗である「軽み」を俳諧で表現する方法を探っていた。その鍛錬としての俳句だった。

鶯は梅と付き、初春を導く鳥(春告鳥)として和歌にも歌われている。「鶯や」と詠まれると梅が付き、その声を称える雅な流れを想像するが、そこから芭蕉は自由に発想を転換させ、軒下にカビを防ぐための干餅に鶯のフンがついたと詠むのである。「糞(フン)」も愛らしい春の知らせであり、実際に鶯の姿は見えないのだが、その「糞」によって春の訪れを知るのだった。春の長閑(のど)かな様を表現したのである。

古池や蛙飛び込む水の音

和歌では「古池」が用いられることはあまりなかった。用いられても名勝としての「古池」であり、芭蕉は歌語の景勝地であるよりは生活の場としての古池であり、そこには生きた蛙が存在する。また「かわず」は歌語では動作より(実際の目で見る)よりも声として姿を見ないものであり、それは先の「鶯」の例とも重なるように、晩春を告げる声だったのである。

そこに付くのは山吹であり、「古池」ではないのだ。しかし、そこに蛙飛び込む水の音を聞くとき、その一瞬に静寂さが訪れるのである。それは次々と蛙が飛び込む情景でもいいが、その一つの音による変化、つまり蛙の合唱から一瞬の静寂さへ古池をイメージするのだった。水の音も元来は流れ出る継続している音なのだが、芭蕉は蛙飛び込むという動作によって一つの音に集約したのである。それは「一即多」「多即一」の仏教思想であり、「蝉の声」の一瞬の静寂さとも繋がっていくのである。

猪の床にもいるやきりぎりす

「蟋蟀」について「詩経」は、「七月は野に在り、八月は軒に在り、九月は戸に在り、十月は我の床下に潜むなり」というような詩から、芭蕉はそれならば鼾の下でキリギリスが恐怖に怯えながら鳴いているのかもしれないと思って最初に示したのが猪なのである。これも声の姿は見えないが晩秋を告げるものとしてのキリギリス(蟋蟀)を雅な世界から俗世界に呼び込んだのである。

俳句いまむかし

『俳句いまむかし』坪内稔典。過去の名句と現代俳句の名句の読み比べ。

摘む駆ける吹く寝ころがる水温む  神野紗希

春の行為の動詞から最後の季語まで集めた俳句である。最後だけ「水」という名詞が明らかにされるが、それ以外の四つの動詞は読者の想像に委ねる。またそれぞれの現在形がむ~る~く~る~むとウ音便の能動性がリズムを生んでいる。

水ぬるむ頃や女のわたし守  与謝野蕪村

「わたし守」は子守じゃなく、船頭と「渡し守」である。女がてらに船頭としての渡し守が水温む頃を知るのだ。それは女性の社会参加(ワーキングウーマン)ということかもしれない。

水色の洗濯ばさみ若布干す  松尾隆信

「若布(わかめ)干す」は春の季語。水色の洗濯バサミが春のアクセントになっている。水ー洗濯ー干すは縁語か。

汁の子もうみ出でてよきわかめかな  松永貞徳

「汁の子」は味噌汁の具としてのわかめか。「わかめ」、「わかい女(め)」と「うみ出て」が産みと海の掛詞。そして鮮やかな緑を生み出す。

瞑(めつむ)りてをり囀に触れるため  武藤紀子

寺山修司の「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」を連想させる。囀りを触覚で感じ取ろうとしている句だという。

囀の甘えたりしが後(あ)と静か  川端茅舎

「囀」を甘えと取るのはちょっと驚き。「後(あ)と静か」が一瞬の静寂さなのか?山登りのような情景か?

馥郁と春の鷗となりにけり  日下野由季

「馥郁(ふくいく)と」がポイントか。どこでこの言葉と出会ったのか?そういう新しい言葉に出会い豊かに春に花咲くイメージが「馥郁」。多分、漢詩か何か出てきたのだと思う。

少年や六十年後の春の如し  永田耕衣

「春の如く」という知る人ぞ知るというアイク・ケベックの代表作があるのだ。それを思い出した。

沈船を篤き鬱とし春の海  馬場駿吉

「篤き鬱」はよくわからない言葉だな。これは否定的に鬱を捉えるのではなく「春の海」のように捉えるということだった。春の霧が立ち込め難破していく船のイメージか?

春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな  与謝野蕪村

「ひねもす」は今使いたい言葉No.1になった。「のたりのたりかな」もいいんだよな。春の海でぼっーとしている感じ。

どんぐりと終日(ひねもす)遊ぶ幼年期  宿仮

今日は一句出来たからここまでにしよう。

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