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宿仮俳句八月選句
俳句は毎日作って月は100句ぐらい作っているのではないか(数えないので大体だが、最近一つの題に十句もやりはじめたので)?すべて誰からも評価されずに消えていくのみだった。せめて自分で労ろうと今月から特選一句と佳作五句を選出して、自己批評することにした。それも俳句作りの参考になるかと思う。自分の句だから褒めるところは大いに褒められるし、厳しい意見は素直に書ける。おまけに批評眼も付く(ホントかな)。やってみてダメそうだったらやめればいいだけの話だし。では八月の選句。
佳作
「シン・俳句レッスン23」(8月31日 02:37)
![](https://assets.st-note.com/img/1693524926903-MV3yKaX6Tf.png)
高柳重信の多行形式俳句に果敢に挑戦した作者の一句。「ゑのころぐさ」と戯れる「猫」と「僕」を立体的に表現したという。その試みはある部分成功していると思うが「僕」に幼さが残るか。「我」の方がいいのではないかと思うのだが、むしろ幼少期の記憶として「僕」でいいのではないかとする意見もある。
作者には高柳重信の後継者として期待するがまだそこまでは到達してないような気がする。それは「ゑのころぐさ」の中に囲まれている「猫と僕」は逆に遊ばれているのである。言葉に遊ばれている無自覚さをもっと自覚(意識)して欲しい。
改作
ゑのころぐさ
ねこ
と
ぼく
たわむれあそぶ
ひらがなで子供らしさを出してみた
日記(2023年8月30日)
![](https://assets.st-note.com/img/1693525626215-3gkVqifmuf.png)
宿仮
加藤泰『瞼の母』からの連想句。あえて古風な言い方で諧謔性を醸し出した作者の意図は「ターミナル」という異界を引き出すだろうか?むしろ現実が「ターミナル」であり異界の「夕月」に引き寄せられていくのだが、瞼の母で朧月夜でもあると思う。上五は「朧月」の方がいいようにも感じる。それは季語が動くことでもあり、「夕月」の決定性はあったのかが問題である。
改作
朧月拝み渡世やターミナル
日記(2023年8月31日)
![](https://assets.st-note.com/img/1693569830431-sN8fIfAElo.png)
宿仮
自然の法則そのものだが彼岸に対する憧れを感じる。彼岸は死後の世界であり、この世ならぬ世界の憧れであり、それが満月という完全体でありながら欠損状態を思考してしまうネガティブさがあるが。果たしてそれは闇であろうか?光の穴こそが彼岸性である。
日記(2023年8月29日)
![](https://assets.st-note.com/img/1693570373295-R5zhQjtos3.png)
宿仮
「や」の詠嘆を二度繰り返すという暴挙だが、音韻的には気持ちがいい(ヤ行の重なり)と思っているのだろう。「や」は夜に繋がるという作者の説明だが、最後は「よる」と読む。言葉遊びの世界だが。
日記(2023年8月20日)
![](https://assets.st-note.com/img/1693602238544-Uihsj4o0I8.png)
宿仮
著者が得意がっている句またがり。中七「引きつれて秋」は「茜」色であり、アキアカネという蜻蛉でもある。それ以上の意味はないと思う。それが美意識にかなうかどうかの問題である。今回は季節柄夕焼けが多い。
特選
日記(2023年8月26日)
![](https://assets.st-note.com/img/1693578228091-FpQ2gshzly.png)
宿仮
「正露丸」は、日露戦争時に軍隊で使われた薬だが、ロシアを征するの意味もある。もともとは「征露丸」だったという。白水らの戦火想望俳句の影響を受けたウクライナのロシア侵攻に対する社会詠だが、下五は下ネタというべきか、きわめてプライベートな生活句である。その対比が面白い。俳諧味を感じられる。いささか「正露丸」は匂いがキツイが。
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