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シン・俳句レッスン75
画像も日記の使いまわし。今日は猫で行こう。季語は猫の恋で春かな。
猫の恋やむとき閨(ねや)の朧月 松尾芭蕉
季重なりだな。「朧月」が季語なのか。まだこの頃は「猫の恋」は季語にはなっていなかったとか?果たして「猫の恋」は春でいいのかな。確かに寒い夜中とか鳴いている気がする。朧月は上手い落とし所か。猫と閨が韻を踏んでいる。
朧月のらネコ通りや千鳥足 宿仮
千鳥足の獲物を猫らが狙っている。
俳句の達人(金子兜太)
五七五は肉体のリズム 金子兜太
これは金子兜太だから言えるわけなんで、果たして五七五が自分のリズムだと言えるのかどうかは問題だった。俳句や短歌は古語(文語)であるから七五調に収まりやすいのだが、今のリズムはどうなんだろうと考えてしまう。例えば日本語ラップは八音八音だというのがあった。それに当てはめて一拍空けると七音プラス休符、五音休符説があった。五音のあとは三拍置くとか。そこまで機械的にならなくてもいいとおもうのだが自然のリズムというとまた考えてしまう。
そういうところで一年に四季があり二十四節気があり、七十二候があるというのはわりと納得できるのだ。いまだと冬至が過ぎて、「シカが角を落とし始める」とは今だと何にあたるのか?と考えてしまう。身近な動物がいないんだよな。動物今の季節はなんだろう。猿の毛が伸びるとか。ふさふさの防寒着がひつような季節かもしれない。防寒着出すか?
そういうことで季語の大切さは挨拶にあるというのが徘徊の考えなのだが、それとは別に短詩と観た場合に、人間という孤独さがある。見つめ直す内面というような。それは自身の肉体なのだろうし、そうするとこの季節に寒さを感じるということも季語に含まれるのかもしれない。
内面の問題は社会性とリンクしていくので社会詠というのも生まれてくるのだ。
人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太
これは中七で切れるから「東北白い」となって、「花盛り」は比喩で花が咲いているわけではない。雪景色のことを言っているのか?
例えば上の句だと「白い花盛り」と読んでしまうのだ。「人体冷えて」で1拍で八文字、「東北」四文字1拍「白い花盛り」八文字。兜太のリズムでも七七五だ。
猫の子のこのこ咥えた親猫
八音八音。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
冬・新年
未来おそろしおでんの玉子つかみがたし 山口優夢
玉子を箸で掴もうとするから大変なのであって串でさせば一突きだと稔典さんの解説を読んでそういうことなんだろうと思う。マナーとか言っていると美味しいものも食べれず持って行かれる。もっと貪欲になれということだ。おでんの玉子の食べ方教室とか、笑ってしまうだろう。
河馬の背のごときは何ぞおでん酒 上田五千石
おでんは味噌田楽ということから始まった。河馬の背というのはそういうことらしい。「河馬の背」とはと考えるのがいいのだという。そしておでん酒。
はにかみて姜尚中の毛糸帽 長岡悦子
これも音韻的な歌で絵的ではないよな。どう考えても「姜尚中の毛糸帽」は想像出来ない。ただリズムが良かったりするんだ。
頭巾着て老と喚ばるる嬉しさよ 会津八一
頭巾って還暦の頭巾なのかな。いま頭巾なんかないよな。フードになってしまう。フードは老じゃないよな。ねずみ男だ。
ねずみ男フード被つて猫にバレ 宿仮
不機嫌を連れてマフラーして、こいつ 野本明子
これはイケメン男の為に長いマフラーとか編んでクリスマスか何かでプレゼントして、こいつなんだろうな。そういえばセーターを編んでくれるという話はどうなった?
霧ひらく赤襟巻きのわが行けば 西東三鬼
赤い襟巻きって赤影だよな。この場合は三鬼本人なのだろう。気取った俳句人だった。
ねずみ男猫のマフラー手に入れる 宿仮
勝利の祈念に。猫娘だったら怖いな。まだ死んでないから。なんかだんだん川柳っぽくなってきている。真面目に俳句を作ろう。
枯芝の真ん中にロックンローラー 鈴鹿呂仁
例題がまずいんだよな。このロックンローラーはフィンランド人かもしれない。
リバイバルのら猫ロックにグルービー 宿仮
バンドがあるんだ。映画であったんだがな。アキ・カウリスマキの映画にでてきそうなバンドだ。
枯芝に青春もかく陰りたる 木下夕爾
「枯芝」は使いたいな。それだけで舞台になりそう。
枯芝に猫娘らとねずみ男 宿仮
そういうバンドなんだ。「ら」は達の意味でガールズバンドに特別ゲストのねずみ男だった。ねずみ男から離れられない。
埋み火の至近距離から打つメール 小西雅子
「埋み火」は灰に埋めた炭火で、冬の季語。俳人はこういう言葉を使いたがるんだよな。季語に溺れる。
見ておれば心たのしき炭火かな 日野草城
日野草城は明るい句が多いような。ラブラブな感じがする。
掘りごたつ潜る吾輩灰だらけ 宿仮
「吾輩は猫である」。今日は不調。やっと出かけられる。
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