シン・俳句レッスン154
十月(神無月)
最近調べるのが面倒なんでCopilot(コパイロット、AI)に頼ってばかりいる。
十月はあまり出てこなかったな。無神論者なので「神無月」は使いづらい。
そういえば死んだ蜂を見たな。十月に命尽きるとかあるんだろうか?「蜂のムサシは死んだのさ」を連想する。
ほとんど曲のパクリだった。下五ぐらいは変えたほうがいいな。
これは川柳の部類だな。もう少し志を高く。
夏石番矢
日本より世界的に有名なのは国際的に活躍しているからだった。俳句は詩であるというポリシーを強く持った俳人で、現代詩と同じ次元だという(それは読まれないということか?)、
日本の巨石・巨木をテーマにした句集で大都会東京にも千年樫があるという。俳句のアニミズムと東京という無機質性を合わせて破顔になるという。「破顔」=笑顔が自然物と人工都市を繋いでいる。千年樫はみつからなった。これかな?樫じゃなく近くに千年杉がある。
これみたいだ。『大菩峠』にある樫だという(違った)。『大菩薩峠』読んでからか?
話を夏石番矢に戻すと他に漢字だけの俳句とか。
表記が大変で意味もよくわからないから一句だけ。けっこう漢字だけ俳句というのはあるような。ネット俳句でもあった。
現代俳句評論賞
『現代俳句十月号』から第四十四回現代評論賞受賞作、田辺みのる「楸邨の季語「蝉」」は、俳句の読みという行為の面白さを教えてくれるかもしれない。自身の句にも蝉を読んだものが多いが、どこが違うのか見極めたい。
加藤楸邨をこれまで避けてきたのは、あまりにも精神的すぎないか?ということだった。この句にもそれが良く出ていると思う。楸邨は人間探求派だという。哲学俳句か?
まず技術的に分析すれば「生」と「死」、「有」と「無」という対句表現。これは写生句ではないと思わせて「蝉」と来る。「蝉」の季語が生きているのは先の哲学的問いが「蝉」の季語を引き立てるからだろう。そして、下五の「充満す」が写生の描写として、聴覚に訴えかけるのだ。それは芭蕉の句を思い出させる。
しかし充満すは芭蕉の蝉の声と反対のエネルギーに満ちているような気がする。くり返しの「や」はここでは切れ字ではなく、蝉の声の集積として「~や」で集められる。著者もそれに注目していた。
また「蝉が充満す」を「蝉時雨」としなかったのは、それが通り雨のように過ぎ去るものでもなく、永遠に自分の耳元で蝉の声が反響する感じだろうか。それを音の渦という。渦というとポーの「メエルシュトレエムに呑まれて」を連想する。著者の記憶の中に小石川植物園での体験が思い出されるのだ。それは盛夏真っ盛り、小石川植物園という閉鎖された場所での成長の体験かもしれない(大学の研究的な)。
生の概念はわかるのだが「死」の概念はどこから来るのだろうか?それは対句的な二元論的なことなのか?よくわからんな。生の対極としての死だろうか?蝉の寿命的な。著者は次の有と無にヒントを見出す。それは圧倒的な蝉の鳴き声に目眩がして別次元に運ばれるというのだ。白日夢的な目眩。まさにここに哲学的「存在と無」を提示しているのだ。
この句以前に楸邨が作った俳句として、
がある。「木」と「石」は生死の象徴か?「石」が「無」であるというはわかりにくいな。この「石」を芭蕉句の「岩」見立てる。
それは終戦の圧倒的な光景。
これはちょっと違うのではないかと思うがベルトの駆動音が蝉の鳴き声に比べられているのか?それでも石が出てこない。芭蕉句の岩はいい線を突いていると思うが。
これはわかりにくい句だな。存在の頂点を見つめている作者が「両目木に点じ」ということらしい。声ではなく存在の頂点と言う。「蝉の両目」は楸邨なのか蝉なのかいまいちわかりにくい。その両方であるということなんだが。
「蝉の充満」。やっぱこの句はこの下五に尽きるのかもしれない。
この句から十七年後の「飛騨の谺」の連作の最後の二句。
著者は蝉が蜩だったと断定するが、それは違うように思う。蜩は秋の蝉であり、盛夏なら油蝉や熊蝉だろう。
この句は死を読んでいる。
また楸邨の蝉の句には「蝉の声」を使ったものが八十二句中一句だけで芭蕉句を避けていたという。それは蝉の声は発する側で楸邨の蝉は対象として観察(写生)が行われているからだろうか。芭蕉はイメージ句なのだ。また別の芭蕉句に。
これ凄い名句だ。蝉の死ぬけしきは見えないけれど声だけは響いているという。死ぬと逆の意味で「生」の充満を詠んでいるが、それもイメージ句だった。
楸邨の蝉の句は芭蕉の句に対峙しながら芭蕉の句のオマージュだという。「閑さや」は死に閉じ込められるイメージなのか。楸邨よりも芭蕉の深さを感じる。
先日のネット句会での句を変えていきたい。
秋蝉は蜩で夏の終わり。木漏れ日がもう一つアクセントになるかもしれない。死のイメージだから生のイメージか。
この物語は『平家物語』なのだが、詞書で処理すればいいかな。
やっぱ「平家物語」を入れたい。
厳島神社にて
秋蝉や「平家物語」は谺する 宿仮
これだと詞書はいらない。
和泉香津子
『最初の出発 (第2巻)』から。「和泉香津子」結社で清少納言と言われるほどの清楚な句を詠んだが青春俳句のイメージと結婚を機に俳句を止めてまた復帰するというパターン。
天花粉は夏の季語ではなかったか。まあ伊豆の踊り子のような白粉をイメージしたのかもしれない。それなら春だ。
結婚前の最後の句。
復帰後の作品、わかりやすいな。
稲畑汀子
それがどうした的な句だが、虚子の孫娘なら華やかに感じるのか?
これなんかもプリムラってなんじゃ?にならないで華やいでいる感じか。
1972年に「サカタのタネ」が発売したとある。その頃の句なのか?季語にはないはずだけど(あった)、「桜草」の脇句になるのだろうか?このへんに虚子一族の権力を感じる。
ほとんど対句的な句なんだろう。心象諷詠的技法を極めたとか。
上田五千石
稲畑汀子とまったく逆の俳句だ。
ちょっと大げさな句だが芸術は爆発だみたいな。
ちょっとエロスを感じるのは制服女子を想像するからだろうか?ビジネスマンの黒靴下だったら嫌だな。
子規の「写生」
川本皓嗣『俳諧の詩学』から「子規の「写生」──理論的再評価の試み」。子規の「写生」が誤解を受けているという話はよく聞くが実際には複雑すぎてよくわからない。それは子規が短命に終わったので十分説明がなされなかったにも加えて後の理解も中途半端だったようだ。子規の実績としては誰よりもそれ以前の俳諧を読んでいて革新的な手法として「写生」という方法論を打ち立てたということだ。これは絵画論であり、まず「写生」がスケッチというデッサンであるならば「写実」という肉付けが意匠(個性)であるということらしい。だからスケッチとのしての「写生」はどんどんやるべきであるし、それが完成体でもない。そこから肉付けとして油絵のように絵の具を塗りたくっていくのだ。だから「写生」以前で終わっている俳句はたんなるスケッチであって、そこに上手い下手はあるかもしれないがそれが完成体でもないのだ。
そう思うと線としてよりも色の重みが増してくる。その部分に感性的なイメージがあるわけで、実際に線をはみ出る「写実」もありうるわけだった。それが、例えばゴッホにようにセザンヌように個性として現れるのだろう。子規の俳句の方法論であって、それが完成体というのでもなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?