シン・俳句レッスン27
まだ冷奴が美味しい季節だな。豆腐は春夏秋冬いつでも季語があるそうで、冬は湯豆腐で秋は新豆腐、夏が冷奴。春がなかった。桜豆腐とか。あれば食べたい(あった)。今日は豆腐で十句挑戦。
まず適当に春で一句。
高浜虚子の俳句
川名大『モダン都市と現代俳句』から「高浜虚子の俳句・俳句観・人生観」。ここからは虚子の悪口ばかりだと思うので(川名大が新興俳句の人なので)、普通に虚子好きの人は読まないほうがいいと思います。こっちもあまりやる気がないのだが。
まず虚子の「花鳥諷詠」についての発言
こういう俳句界の風潮に水原秋桜子などは近代俳句の模索をしていたのになんの根拠もなく前近代の「花鳥諷詠」を盾として次々に仲間を切り捨てるやり方に我慢ならなかったという。虚子に近代俳句の可能性が見えてなかった。それは虚子の知らない世界であったという。
では、虚子の俳句を見ていこう。
虚子の視点がゆらいで「百の椿が三百」見えたり、「旗のごとなびく冬日」見たり、「山国の蝶を荒らし」と思ったのである。だからなんだみたいな。
「大寒の」はあるがままに人は死んでゆく、それらを感情を押し殺して詠んだにすぎない。「白牡丹」は典型的な写生句の見本とさらる句。
「どかと解く」と「初蝶来」は挨拶句だという。挨拶句も武尊な感じがする。
虚子の句は、存在の疑問形は自然(天)に委ねているのに対して草田男も三鬼も自意識の発現であるという。その判断は虚子も自意識の発現なのだが世間に問う形に見せながら「荒らし」と言ってしまっているのだ。そういう言説の危険性はデマのなり立ちとしてこのような疑問形が使われるからだろうか?虚子が権威となってしまって「荒らし」と言ってしまえば取り巻きのものは肯定せざる得ない。そこになんの根拠もないのだ。
も諦念に裏付けられた虚子の姿であり、例えば第二次世界大戦に対して「俳句は何の影響も受けなかった」という居直りに対して中村草田男は「なるようになったとお前が感じるのは、ただ単にお前が、サイパンに居らず広島に居らなかったからといふ理由からだけではないか」と反発する。あまり草田男のように精神的になるのも嫌なんだが。虚子は上に立つ人だったのにその責任逃れとしかいいようがないが。
三橋敏雄十句
『鷓鴣』は誰もみたことがない鳥で、『まぼろしの鱶』が魚、『眞神』が獣、で次は鳥にしようと思った時に二人の師匠の句に「鷓鴣」があり、それを表題にしたのだという。
「日はひとつ」航海時代の句か?池田澄子は「日がひとつ」という動かしがたさに「日つぎ」という言葉の出会いという。「日つぎ」は「棺」との掛詞じゃないのかな?「呉越同舟」とか。
「一生の」というのは箸文化から離れられない「秋津洲」ということなのか?「秋津洲」は日本の古い言い方。
それと関連ある話で『日本沈没』で小松左京のテーマは、日本が沈没してもコスモポリタンの日本人になるのか、しぶとく生き残ってまた発展していくのかがテーマだったようで、後者のハッピーエンドで終わるのだった。今だったらどうかな。まあコスモポリタンになれないと開き直るしかないのだが。
「老い皺」の句だと敏雄も保守化していると感じてしまう。「浪か」という疑問形なのが「浪や」の独断ではないと云う。でも諦念性があると想う。浪のように漂うか?
「花火聞く」もいいんだけど寂しい句だよな。花火が本来追善供養だから、そこは正しいわけなんだけど。
「夜枕の蕎麦」は蕎麦殻枕のことなのか?「群(むらがる)かな」。最初は夜鳴き蕎麦に群がる人かと思ったが、寝ていてすさぶ気持ちになってくるのだろう。
「あぐらゐの」は胡座で座ること。だんだん言葉が難しくなってくるな。かぼちゃとの取り合わせは面白い。
「白百合を」は文学的象徴だろうな。
「顔押し当つる」は深沢七郎『極楽まくらおとし図』を連想する。「銀河」は彼岸の「極楽」ということなのだろう。ねむるまま逝ってしまいたいという思いかな。
「一日の日」も皮膚を「ひふ」になっているからわかりにくい。まあ古女房なのかな。独りではないと思う。これを男の優しさと思ってしまう池田澄子もどうかしているな。
部屋が暑いので出かける。
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