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シン・俳句レッスン36
芙蓉。季語は秋だけれども中上健次の小説に夏芙蓉が盛んに出てくる。調べてもどんな花かはわからなかったが、多分、芙蓉をそう呼んだのかもしれない。芙蓉は蓮の別名というこで仏教的な花でもある。浄土とかそういう意味も含まれているのかもしれない。
夏芙蓉オバアが語る浄土かな
「戦争俳句」の背景としての現実
川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』から「『戦争俳句』の背景としての現実」。俳句は個人によって作られるが、それ以上に他者に読まれて批評されることで浮上してくるのだ。例えば藤木清子の埋もれていく俳句は、宇多喜代子らが廃棄処分にされそうな「旗艦」という俳句誌からサルベージした(引き上げた)ものである。埋もれてゆく俳句の数々からサルベージされた「戦争俳句」は他者によって批評されて輝いていた。
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
神田秀夫の批評
当時、軍は、その所属の建物でない会社その他で、会議をやらなければならなくなると、機密の漏洩を恐れ、会議室の周辺に歩哨を立てて、廊下を通行止めにした。この句も、多分、そういうケースを目にし、それに触発されたのだと思うが、戦争は戦場にあるのではない、戦争をさせている元凶は、今、この廊下の奥で会議をやっている、という切り込み方がすごいと思う。 神田秀夫
憲兵の前で滑って転んぢやつた 渡辺白泉
「憲兵は軍内部の警察で、兵にとってはこわい存在だが、外部に手を出すことは建前上ない。しかし、この句は、やがてこれが国民一人々々にとってもこわい存在になるだろうことを、おどけて、動作で描いてみせたものである。 神田秀夫
玉音を理解せし者前に出よ 渡辺白泉
列から一歩「前に出」るのは、ほめられる時も叱られる時もあるが、ここは「前に出よ」といって教育してきた下士官に対する作者の精一杯の皮肉であろう。百八十度回転した天皇の意志を、なんと見る。 神田秀夫
むろんこの解釈は戦争を知る人のもので、現在の解釈とは違うかもしれない。しかし少なくとも理解への補助線とはなっていくのだ。そうして白泉の俳句はサルベージされるごとに批評という言葉で強化されていくのである。川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』もその一端のサルベージする批評本なのだ。
黄天にキリストのごと落伍せり 片山桃史
この句の作者がどうして戦争(本集『片山桃史集』の場合は戦場又は戦闘)讃歌と思われる作を多く書き残したのか、と『片山桃史集』を読みながら不審感を抱くことがしばしばあった。(略)かつて石川達三が『生きている兵隊』について自ら解説した「兵隊が主題で、戦争が主題でない」とした誤謬に似た危険性を本集もかかえている。(略)桃史にとっても方法と手法の技術面の思考(思想と言い直してもよい)の点で未成熟であったのを本書によって知らされた。 鈴木六林男
冷雨なり二三は遺骨胸に吊る 片山桃史
この作は、骨にするゆとりがあったことを示している。熄みなく戦闘がつづくと荼毘にする暇がない。又それをすると煙が目標になって砲撃される恐れがある。それで、戦死者の腕は肘から切断して靴下に収めて腰に吊って行動する。犠牲者が多く出た折りは、安全地帯に到達するまで戦友が一人で三本くらいを腰に吊って移動する。夏季は、悪臭と蝿だ。腕を靴下に入れる時、指の方から納めるように指示されているが、それでは入れづらいので切り口の太い方から入れる。すると指が外にはみ出て携帯者が動くたびに、おいで・おいでをする。それを視野にいれながら戦いは続けられる。そこにはぬきがたい戦争のリアリズムがある。これが戦場の現実である。掲出句は、上五が中七以下に融合して佳作をなしている。 鈴木六林男
作品以上に過剰な解釈だが、戦争俳句の背景となっている情景が作品以上に理解できるのだった。
藤木清子
ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ 藤木清子
しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ 藤木清子
この「しろい」という色で心理を表出した方法は、「旗艦」などにもいっぱい出てきます。(略)「白」は新興俳句を象徴する色だったといってもいいと思いますね。 宇多喜代子
頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋
(略)「旗艦」は戦況がひどくなり、官憲の目が厳しくなった昭和一六年五月に終刊。日野草城は俳壇から隠遁してしまいます。長田さんたちは草城の勤務先に押しかけて行き、先生を責めたそうですが、この話をされるときも長田さんは涙声でした。かつて「旗艦」という日野草城の俳誌に藤木清子という女性がいたということ。その周辺には片山桃史や富沢赤黄男がいたということ。なによりその時代に戦争があったということ。お若い方にはこれだけでも知っていただければと思います。後日の参考にしてください。 宇多喜代子
夏芙蓉かつて戦争がありました
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