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シン・俳句レッスン47

紅葉通り。まだ紅葉には早いか?

ネコバスは紅葉通りを枯野まで

芭蕉案内

芭蕉が偉大なのは俳諧のオーソリティだからと世間では言われているのだが、見落としてはならないのは『おくのほそ道』を始め紀行文としての俳文でのジャンルを切り開いたこと。それは散文と韻文(発句)を合わせた歌物語の発展形として、『おくのほそ道』意外に七部集がある。その中で弟子たちとの座の交流の中で連歌もあれば俳諧もある。発句集という独立させた作品ではなく、俳諧七部集のようなまとまった作品が評価されるのではないか?

その中で発句の形になるまでのストーリーや弟子たちとの交流が語られるのである。それを発句だけ切り出して論じるのは無理があるというか、ある作品の一部だけ引用してもその作品の全体とは言えないだろう。とりあえず芭蕉の作品としては『おくのほそ道』を始め、七部集を読まないことには始まらないような気がする。

芭蕉の紀行文の方法はわりと伝統的であるらしい。その中で風狂の旅人としての、雅な面(散文)と俗な面(俳諧)とが混在した魅力があるのではないのか?『おくのほそ道』の代表的な句も散文あっての句であり、17文字で世界を表現したというのは違うのではないか?

前衛俳句の軌跡(つづき)

川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』から「前衛俳句の軌跡」のつづき。

金子兜太の社会性俳句「造形俳句」の議論中心なのは、俳句の形として短詩でいいのだけど、日本の伝統ということで季語ということが外部からも俎上に上がってくるのだ。吉本とか大岡信は日本の古代や中世に幻想をもっているから。とりたて現在のほうが優れているということもなかろうということなんで、それは季節感というものを日本人は大切にしてきたということなのだ。

金子兜太が「造形俳句」でそういうものをまったく排除せよと言っているのではなく。季節感も都市性とともに希薄になってくるんで、「造形俳句」と言っているわけで、その中に季節的な創造だってあっていいはずなんだが、なぜか総スカンを食っている状態なのだ。それは金子兜太の「造形俳句」が当時としては前衛俳句と見られていたからなのだ。その矢面に立っている金子兜太の後ろにいるのが高柳重信であり、二人は全く違うと思うのだが、高柳は百人の俳人がいたら百通りの俳句があってもいいという、それだけなのだが、金子兜太をどうしても許せないのか、中村草田男を中心に「俳句協会」というものが出来てその背後に付いているのが角川書店であるから、一気に情勢は伝統俳句に傾き前衛俳句なんて戯れでしょうという感じになっていくのだった。その俳句協会は有無を言わせず俳句やるんなら協会加入というような、かつての翼賛的な文学振興会みたいなものだったのか?世の中そんなもん。

その中で面白い議論もあったのだが、前衛俳句側にはしょぼい幕切れとなっていく。

粉屋が哭く山を駆けおりてきた俺に  金子兜太
満開の森の陰部の鰓呼吸       八木三日女

粉屋は解釈の問題として、「山」を特権階級と読んで粉屋が労働者で、マルクス史観どうのこうのという解釈が、本人によって否定され前衛俳句の批評家でも固定観念的に読んでしまう不自由さみたいなもの。それは前衛俳句側からも厳しく批判されるのだが、俳句はどんな解釈も自由ならばマルクス史観で読もうが自由なはずなのに、やはりそういうところでバッシングされていくのだ。金子兜太も社会性俳句だから、そう読んでしまったとおもうのだが。

それより立場が悪いのは次の「陰部」の句だった。その言葉に刺激されて女性性の解放とかフリーセックスとか(そこまでは言ってないか)批評したら、この俳句は実際に水族館で魚を見た写生句だと言われて、批評家としてどうなのと立場がなくなった人がいて、それは明らかに当時の風潮が行き過ぎた左翼思想を咎めるものとしてあったのだと思う。この場合も解釈としては自由な筈だから作者が実際にそう詠んだとしても「陰部」とことばを出してきた時点で意識的な操作よりも無意識的なものがあったとするのが、現在の批評なのではないかと思う。

そういうことで内ゲバのような内部分裂もあり、伝統俳句側が「俳句協会」という一枚岩でまとまっていくのに対して、個人的な戦いに始終するしかない「前衛俳句側」は自然消滅していくのだった。その中で金子兜太とか高柳重彦はオーソリティとして巨匠的になっていくのだが、個人と組織では個人は立場が弱いよな。新興俳句から前衛俳句が尻つぼみになっていくのもそいう過程からだった。中でも草田男の「俳句協会」に背くやつは俺が許さねえという恫喝というものもあったという。

金子兜太

『金子兜太の〈現在〉』から「金子兜太95歳自選百句」。いつもは最初からやるのだが、全部紹介しきれないと後ろの方は読まないので、今回は後ろから。前半は今まで見てきた句も多いし。

被爆の人や牛や夏野をただ歩く  『日常』

七七五だけど俳句の定形と言っていいだろう。「や」による切れ、「夏野」の季語もあるから、普通の俳句だよな。ただ「被爆の人」は社会詠か?「牛」は想像だろうから造形俳句か?

津波のあと老女生きてあり死なぬ  『日常』

津波とあるから東日本大震災の句だろう。これも変則だが六六五だからほぼ定形。下句は五にするのは鉄則だった。季語はなし。東日本大震災で事件を示している。

左義長や武器という武器焼いてしまえ  『日常』

左義長は新年の季語。左翼の議長というダジャレか?新年の挨拶句か?

合歓の花君と別れてうろつくよ  『日常』

ほとんど有季定型句だが、作中主体が作者だと読める。短歌的。ボケ老人か?

ブーメラン亡妻と初旅の野面  『日常』

亡妻との初旅が事件だった。「ブーメラン」で回想を暗示。「野面」は原っぱ。難解句でもなく、普通だった。季語がないけど「亡妻と初旅」が代わりとなる。

病に耐えて妻の目澄みて蔓うめもどき  『日常』

「蔓うめもどき」植物が秋の季語。七七七だが「~て~て」がリフレインされて詩的な感じか?対句でもあるな。妻と蔓が韻を踏んでいる。

老母指せば蛇の体笑うなり  『日常』

読み手の母と解釈もできる。「蛇の体」という軟体性を笑ったのだろうか?

大航海時代ありき平戸に朝寝して  『日常』

私に引き付けて解釈すれば「大航海時代」はゲームで夜通しやっていたから「朝寝」なのかなと。

子馬が街を走つていたよ夜明けのこと  『日常』


夢だろうか?童話的な造形俳句か?

言霊の脊梁山脈のさくら  『日常』

「脊梁山脈」は国を分かつ境界となる山脈の意。それを「言霊」と「さくら」が超えていく感じか?下五が「さくら」だが全体では一十七音で定形。

それほど前衛俳句という感じはなかった。時代と共に後衛になっていくのかもしれないが、でも高柳重信は今読んで前衛俳句という感じがする。金子兜太は普通の俳句だよな。

百句燦燦

塚本邦雄『百句燦燦』から。

まぼろしのあをあをと鯊(はぜ)死にゆけり  秋元不死男

「あをあを」が擬音系のオノマトペだというが、それは違うだろう。オノマトペにしても状態の意味だろう。死にゆく鯊に自身を重ねているようにも思える。その鯊の目に映った幻影だろうか?

罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき  橋本多佳子

「髪の先まで寂しきとき」が橋本多佳子の感性だという。「罌粟ひらく」は流行歌的な。「圭子の夢は夜ひらく」を連想させる。

 父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し  寺山修司

これは寺山修司の虚構俳句だろう。いかにも父の書斎という権威的存在に犀を感じるのか。犀といえば仏典の「犀の角のようにただ独り歩め」を連想する。

怒らぬから青野でしめる友の首  島津亮

これも虚構俳句だと思うが金子兜太の読みがあるという。そうすると造形俳句の一つか。

「青野」は青春時代という読みか?友とのじゃれ合いということだった。同性愛的な感情もあるという。

滞る血のかなしさを硝子に頒かつ  林田紀音夫

硝子と漢字で書くと幻想性が上がるような気がする。「滞る血」だから死にそこなったのだと思う。生と死を頒かつ硝子。それを映し出す姿が幻想的か?

音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢  赤尾兜子

「蛇」も幻想性が上がる言葉なのか。金子兜太も「蛇」の句があった。蛇の流れが音楽漂う姿と重なる。それも飢えている蛇だというのだからそれを求めているのだろうか?

釘箱から夕がほの種出してくる  飴山實

この句はけっこう好きかもれない。何気ない日常性だが夕顔という意外性。朝顔では駄目なんんだよな。夕顔のとぼけた感じが釘箱によく似合うような気がする。

例ふれば恥の赤色雛の段  八木三日女

問題提起の女性俳人だった。「満開の森の陰部の鰓呼吸」で深読みしすぎて評論家失格を招いたのだった。この句を過剰に読み込むのは危険な感じがするが。雛飾りの三人官女に出戻りの四人目がいるという解釈は面白い。そういう過剰な解釈でもいいんだよな。作品は作者を離れれば自立したものなのだから。

大き掌(て)に枯野来し手をつつまるる  桂信子

「枯野」とくれば芭蕉だろう。そんな芭蕉の俳句につつまれることだと思う。塚本はまたロダンとかキリスト教とか御託を並べているが。

胡麻をはたくは微妙ならずや町なかに  楠本憲吉

楠本憲吉テレビの審査員役で「松島やああ松島や松島や」を毎回言って笑いを取っていたコメディアンかと思っていたが俳人だったのだ。「胡麻」はゴマスリということかな。はたくと言うのだからゴマスリとは別の人の意味で微妙な立場になっているのか?



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