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シン・俳句レッスン22

そうだ、ボードレールの雲の詩があったんだ。

雲は季語でもないから、春の雲とかやればすぐ10句が出来る。いや月ごとの雲にすれば12句できるじゃないか?

頭垂れ八月の雲坊主たち

甲子園の句。今朝の雲の俳句は気に入っているのだが。

羊雲加賀幸子に読まれたい

羊一匹、羊二匹とか加賀幸子数えてくれたらいい昼寝が出来そう。

羊雲加賀幸子で昼寝かな

林田紀音夫

川名大『挑発する俳句 癒す俳句』は今日終わらせてしまう。
赤尾兜子とともに弾圧後の新興俳句に連なる最後の俳人。無季俳句とその精神(新興俳句の「俳句は十七音の詩だ」)を根底に置き句作したという。

鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ
黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ
引廻されて草食獣の眼と似通う
洗つた手から軍艦の錆よみがえる
戦死者の沖からの波足濡らす
憶ひ出も空蝉ほどの脆(もろ)さかな
月光のをはるところに女の手
木琴に日が射しをりて敲くなり
棚へ置く鋏あまりに見えすぎる
死は易くして水満たす洗面器
隅占めてうどんの箸を割り損ず

後年は結核になり療養生活から自己を見つめ直す。「木琴に」の句は子供用の玩具を何気に叩いたという句であり、虚無的な空白感を感じさせる。「棚へ置く」は明確な切れ字がなく散文詩のようだが切れ字を用いた伝統的な無季俳句の作家よりも革新的であったという。

市民であろうと希うことの前提に、ぼくもまぎれもなく庶民の列中にあるという意識を消すことは出来ない

林田紀音夫「十七音詩」22号

林田が最も抵抗したのは切れ字を絶対視して韻文精神を唱えた石田波郷や、社会性に目を閉じて内面を掘り下げる根源俳句を唱える山口誓子であった。

「黄の/ 青の/ 赤の/ 雨傘/ 誰から死ぬ」は色で分断されるが雨傘という一団から逃れられない様を詠んで、自意識の切れを打ち込むが社会全体からは逃れられない様相を散文で示す。

加藤郁乎

『球體感覚』で注目された俳人。「俳句評論」に属していたから理論家の俳人なのだろう。俳句を具象ではなく抽象のレトリックにより「俳句」の「俳」は滑稽なこと。つまり誹諧の精神で事物の中に埋没するのではなく、脱我的境地芭蕉の風雅に通じるという西脇順三郎にも師事したという。メタフィクション的俳句というよな。

冬の波冬の波止場に来て返す
花に花ふれぬ二つの句を考え

リフレインによる繰り返しが円環構造的な俳句ということだろうか?雲俳句ではなく月俳句になった。

月満ちて満月となり月欠ける

言葉遊びの世界といえばそれまでなんだが。

朝顔におどろく朝の女かな
サイダーをサイダー瓶に入れ難し
白鳥は来る!垂直のあんだんて
一行のイデエ流るゝものを涸らす
一満月一韃靼の一楕円

高屋窓秋のブレーンストーミングをさらに極めようとする試みは諧謔やパロディに近づく。その後俳句よりも西脇順三郎のような詩を書いている。

雨季来りなむ斧一振りの再会

また大和言葉に対して漢字への偏愛があるという。表意文字的な俳句は絵画的(ピカソのような)に。

どこかがおかしいからこそ「俳」の趣があり、従ってどこもおかしくないような俳句なんか成り立つわけがない。

加藤郁乎『自作ノート』

雨予報雨雲来たり雨男

金子兜太

金子兜太は第一句集『少年』から第二句集『金子兜太句集』、さらに第三句集『蜿蜿』と三つの時期に分けられるという(だいたい句集をまとめるときは違ったものを出すと思うが)。

『少年』は戦時下の初期から昭和二十年代末の社会性俳句に至る修練期。初期は社会性俳句だが、秩父という故郷を見出し良質の感性を核としたおおらかで健康的な俳句を残した。

死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む
暗闇の下山くちびるをぶ厚くし
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
新秋や女体かがやき夢了る
朝日煙る手中の蚕妻に示す

金子兜太『少年』

『金子兜太句集』は彼の理論である造型俳句を確立した句集。イメージや暗喩によって構築した世界。

朝はじまる海へ突込む鷗の死
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
果樹園がシャツ一枚の俺の孤島
わが湖(うみ)あり日陰真暗な虎があり

従来この時期の俳句に兜太の代表作が多い。『蜿蜿』は造型俳句のスタイルを推し進めながらも兜太のすぐれた感性の資質が現れている。

どれも口美し挽夏のジャズ一団
霧の村石を投(ほう)らば父母散らん
三日月がめそめそという米の飯

「造型俳句」の作り方。
1、感覚内容を意識で吟味する。「寂しい」とか「悲しい」とか
2、そこから感覚によって喚起されるものを発掘する。例えば「ブッチャー」
3、この創る過程が「造型」
4、しかしこの造型がイメージに適切かどうかは今一度確かめる
5、自分の内面世界にモチーフを求める。

夕雲やブッチャーの返り血浴びて

ブッチャーのテーマが心の中に流れているのだった。



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