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5.赤い春

9/4発売の新譜「TO THE PARK」に向けて1日1曲解説、5日目は5曲目の「赤い春」の解説をしたいと思います。

この曲は沖縄で生まれました。
那覇のライブがあり、何の気なしに会場から一番近い民宿を予約。当日行ってみたところ宿の主人は気のいいおじさんでした。前日に久高島という離島に遊びに行ったのですが、「昨日はどこ行ってたの?」という話題になったので素直に「久高島」と答えたところ、「ほお、信心深いんだね」と言われました。久高島は沖縄の人にとっては聖地でもある特別な場所らしいのです。

「信心深いのなら、奥でおばあと話すといいさ」
と、なぜか奥の部屋に通されました。
そこにはベッドに横たわるおばあちゃんが一人。
これが、忘れもしないおばあとの出会いでした。

「おばあ〜、この人昨日久高島行ってきたんだって。ちょっと見てやって。」とおじさんは言い残し隣の部屋へ。うん?見てやって?どういうことだろう…と思っていると、おばあはゆっくりと起き上がり、私のほうをじっと見つめました。そして一言。
「あなたは今幸せの絶頂だね」と。
私はどういう状況なのかいまいち分からず、ぼーっとしてしまいました。
どうやら、話を聞くとおばあは古くからの沖縄の占い師、"ユタ"の気質があるとかで、民宿に来る人来る人、様々な人の悩みをズバリと当て、解決してきたのだそうです。精神を患った精神科の女医さん、夫のギャンブル癖にほとほと疲れた奥さん、などなど。おばあに助けられた人はたくさんいるのだとか。
なんと御年91歳、ということでしたが、頭ははっきりとして話がすこぶる面白い。私はライブ当日なのも忘れかけ、長時間おばあの部屋に滞在してしまいました。

話進めるうちに、沖縄戦の話になっていきました。
当時おばあは二十歳前後。従軍看護婦として日々奮闘されていたそうです。
昔から感性が鋭かったおばあは、敵の爆撃機が来るタイミングを予測できたりしていたと。
ある日上司の将校さんの肩に、その人の母親の影が見えたので本人に伝えたところ、その将校さんは泣き崩れてしまった、ということもあったそうです。

その日、なぜおばあが戦争の話をしてくれたのか分かりませんが、
つらい記憶を話してくれたことがとてもありがたく感じられたので、「またここに来たいな」と強く思いました。

そしてその半年後、真冬の1月にICレコーダーを持った私は再び那覇空港へ降り立っていました。雨の那覇でした。
今回は、おばあの話を聞くだけの旅。ということで再びおばあの民宿へ。
おばあからたっぷりと話を聞き、東京へ帰り、この曲が出来ました。

「赤い春」はすべておばあの言葉でできた曲です。
戦争を知らない私たち世代に、届けばいいな。
と、切に願います。

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