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1月3日「『肩書』の二種類の考え方」

ぼんやり考えていたこと。

「名札」とか「IDカード」とか、
あるいは「名刺」や「弁護士バッジ」「議員バッジ」でもいいんですが、

自分が何か組織に属している、あるいは、自分が何者かである、ということを示している、「肩書」がありますよね。

この「肩書」についての考え方として、人によって、色々違いはあると思うのですが、

大きく二種類に分けられるんじゃないかと思いました。

この肩書を付けているかぎり自分は、この肩書の方に引っ張られる、とする考え方と、

この肩書は自分の方に引っ張られてしまう、とする考え方。

前者の考え方をする人は、「肩書」を持っている自分はエライので、当然、肩書に見合う対応を受けるべきだ、と考えます。

後者の考え方をする人は、自分の行い次第で、「肩書」は偉くもなるし、ダメにもなる、と考えます。

前者の人は肩書を振りかざして態度が大きくなったりしますし、注意を受けても「わたしの『肩書』を愚弄するのか!」と逆切れしたりします。「この肩書は『信頼される肩書』なのだが?」みたいに無知をあげつらったりもします。

後者の人は、「自分の『肩書』が現在、『信頼される肩書である』とされているのは、先人の努力のたまものであり、自分のふるまい次第でいくらでもこの価値は下がってしまう」と考えています。

色んなトラブルが、この違いで説明できるんじゃないかなあ、とぼんやり感じました。

もめ事を起こさないためには後者のような考え方がよいのではないだろうか、と思うのですが、

前者も、「肩書」が怠惰な自分を引き上げてくれる、と考えるとメリットになりえるのではないかと思い、結論は出ていません

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