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「ドラレコの記憶は途切れない」第8話

 その日の午後、達也と課長が会議室で待っていると、ドアが突然開き、石崎が慌ただしく入ってきた。

 課長が緊張した声で言った。

「お忙しい中、ありがとうございます。今度のDR3の発売審査会議の報告内容について、事前にご説明させていただきます」

 発売審査会議は、品質保証部、製造部、技術部など、複数の部門長や課長が一堂に会する重要な会議だ。製品の品質を審査し、結果を踏まえて最終的に事業部長が製品の発売可否を決定する。

 スクリーンに映し出した資料をもとに、課長が説明を開始した。石崎はすぐに話を遮った。

「細かいところは任せるから、ポイントを説明してくれ」

「はい。耐久試験を終えた後に画像性能に不具合が出ましたので、その対策の報告がポイントになります」

「なるほど。それで原因は何だったの?」と石崎は簡潔に訊ねた。

「ソフトの不具合でした。ソフトは修正し、リリースを終え、品保部の確認試験を待っている状況です。その結果は発売審査会議の4日前までには出る予定です」

「絶対期日に間に合わせるように品保部に念を押しといて。それでどんな修正をしたの?」

 ソフトウェアのフローチャートを指し示しながら課長が説明する。

「この部分でマイコンをリセットした後、リソースを解放しました」

「そんなの当たり前なんだけど、それができてなかったってことか?」

 苛立ちを滲ませ、石崎は言った。

 課長の声が、か細くなる。

「はい、そうなります」

「過去にも似たようなミスがあったじゃないか。失敗事例集にも載っているだろ。チェックしなかったのか?」

 課長は縋るように達也を見た。

「詳細は、黒滝君から報告します」

 緊張で息が詰まりそうになりながら、達也は言った。

「失敗事例集をチェックするのは、開発プロセスの必須ルールに定めてあります。ですのでチェックは行い、エビデンスも残してあります。ただ、この部分の開発は協力会社への委託で、失敗事例集を渡し、協力会社にチェックしてもらいました。ですけど協力会社の理解が浅く、結果、いい加減なチェックになっていました」

「協力会社の責任だと言っているのか?」

 達也は強く首を振った。

「いいえ、違います。責任はもちろん我々にあります」

「当然だ。……納得はしないが、事情は理解した」

 石崎は冷静に言った。

「協力会社がらみで、同じ問題を二度と起こしてはならない。どうやって再発を防ぐんだ?」

 焦りながら達也は思考を整理した。

「失敗事例集のダブルチェック体制を構築します。失敗事例集のチェックを、別の人間がもう一度実施するようにルール化します。協力会社へは、失敗事例集の教育を行います。失敗事例集を渡しただけでは十分でないことが今回わかりました」

「いつまでにやるんだ?」

 戸惑いながら達也は正直に答えた。

「現在、協力会社と詰めているところです」

 石崎の表情が厳しくなった。

「そんなんじゃあ、だめだ。発売審査会議までに期日を明確にした実施計画を立ててくれ。そうでないと、事業部長の納得が得られない」

〈事業部長、事業部長って、やかましいわ。なに上のご機嫌ばかり伺うてんねん。そんなに出世したいんか。いろいろ、いっぺんにできるわけあらへんやろ。協力会社の事情もあんねんで。言うほど簡単なこっちゃないのは、お前かてわかってるやろ〉

「事業部長のために仕事してるわけじゃないです」

 まずい。思わず口に出してしまった。石崎の顔が硬直し、眼に火がともった。

「何だって! 事業部の方針に基づいて仕事しているんだぞ」

 石崎の声は冷酷な怒りに満ちている。

 課長は固い表情で黙っている。助け舟は入りそうにない。

「方針なんかより、事業部長のご機嫌が大事なんでしょう?」

 まずい、まずい。どんどん言葉が出てしまう。

「何を言っているか、わかって言っているのか!」

 石崎の顔はすっかり紅潮している。

 石崎は課長に向かい、鋭く言い放った。

「一体、どんな指導をしているんだ? 組織としての仕事の進め方をきちんと教えておけ!」

 課長は頭を垂れて言った。

「はい、基本からしっかり指導いたします」

 石崎は、入ってきたときと同じように慌ただしく会議室を後にした。静かになった会議室に、課長の重いため息が響いた。

 達也は自分の中で何が起きているのかを把握できずにいた。

 頭の中で声が響く。

〈なんで俺の存在を素直に認めへんねん。お前の一部なんやで〉

 声は強力で、達也は圧力に耐え切れなくなりそうだった。

第9話:https://editor.note.com/notes/nb5f2bad80c7d/edit/ 

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