「ドラレコの記憶は途切れない」第12話
知的財産部からの電話が、達也に衝撃を与えた。DR3で使用している映像圧縮のソフトがトリプト社の特許に抵触しているというのだ。3日後に発売審査会議を控え、背筋が凍るような感覚に襲われた。
その時、声が聞こえた。
〈今さらなに言うとんねん。特許なんて端からわかっとんとちゃうんか?〉
これまでは声に反発してきたが、声に耳を傾け冷静に考えてみる。
そう、今思うとそうだ。けれど品質トラブルに対応していて知的財産部への特許審査の提出が遅れたのは事実だ。はなから特許に問題がないとの思い込みもあった。
どうすれば?
発売審査会議で正直に報告すれば、間違いなく紛糾する。その挙句に発売は却下される。前代未聞の大問題で、顧客である自動車メーカーにも多大な迷惑をかける。
特許抵触に関する過去の事例を考えてみる。有名な例に、アップル社の「スライドアンロック特許」がある。この特許は、スマートフォンの画面を指でスライドさせてロックを解除するというもので、当時、多くのメーカーに影響を及ぼした。しかしその後、この特許は無効とされた。今回の特許も、いずれ無効になる可能性が高い。
だからいっそ、特許に抵触している事実を知らないことにしてしまおうか。映像圧縮の特許は、スマートフォンのロック解除みたいに、わかりやすい特許ではない。よほどのことがない限り、ソフトの中身を解析するのは困難で、黙っていればわからない。
〈何あほなこと考えてんねん。出るとこへ出て、徹底的に解析されればわかるやろ。そうなったら取り返しはつかへんで。天網恢恢疎にして漏らさずや〉
その通りだ。達也は腹をくくった。足取り重く麻耶のデスクに向かう。達也の表情から麻耶はトラブルを察した。
「どうかしました?」
「映像圧縮のソフトが、トリプトの特許に抵触しているとわかった」
「そんなはずはありません。確かに一連のトラブルで知財部へ審査書類を提出するのが遅くなりましたが、これまでの特許調査でそんな特許はなかったです」
「トリプトもうちと同じような開発をしていて、その特許が先月認可されたとのことなんだ」
麻耶の表情がみるみる曇った。
「えっ、どうしましょう。さすがに今からソフトを変更するのは、時間的にも技術的にも不可能です」
「うん。こうなった以上は何を言われようとも、やれることを精一杯やるしかない。発売審査会議でこの件を報告するから、準備を進めて」
「はい。もちろんそれはやります」
意を決したように麻耶は表情を引き締めた。
発売審査会議の混乱が頭に浮かび、達也は肩を落としてうなだれた。
「黒滝さん。もうしょうがないですよ。一生懸命やってきたわけだし、なるようにしかならないですよ」
〈なに開き直ってんねん。そんなに簡単に言うなや。でもしゃあないか〉
達也は思った。たしかになるようにしかならない。
達也は課長に報告した後、意を決して石崎の席へ向かった。達也が姿を見せると、石崎は仕事を中断して顔を上げた。執務中の石崎の表情は厳しい。
「少しお時間いただけますか?」
「なんだね?」
達也は気を張って言った。
「DR3で問題が発覚しました」
「問題? 確か発売審査会議は今週末だね」
「はい。ですが、他社の特許に抵触していることが判明しました」
達也は簡潔に特許の問題を報告した。話が進むにつれ、石崎の顔色は沈んでいった。
「わかった。それでどうするんだね」
「今から特許を回避するソフトに変更する時間はありません。かと言ってわかった以上は発売審査会議で報告しないわけにはいきません。そのご報告に参りました」
「つまり発売審査会議で玉砕するってこと?」
「申し訳ありません」
達也は深く頭を下げた。
石崎はしばし考え込むと、深く息を吸い込み、電話を手に取った。
「森山さん、ちょっといいですか? 他社の特許に抵触しているって、今報告を受けまして……」
親しげな様子で石崎は話し始めた。電話の相手が何かを話している間、石崎は淡々と頷いたり、うんと小さく声を出して相槌を打った。達也は緊張しながら直立したままだった。会話の内容はほとんど把握できなかった。
「知財部の森山部長と話をした。やはりトリプトの特許に抵触しているとのことだ。発売審査会議では事実関係を正確に報告してくれ。それと森山さんにも、発売審査会議の日時と場所を連絡しといて」
はい、と言って達也は立ちすくんだ。
「話は以上かな」
石崎は時計を一瞥した。
「おっと、次の会議の時間だ」
石崎は急いで席を立ち、さっさと歩き始めた。
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