「ドラレコの記憶は途切れない」第6話
疲れ果てて家に帰った達也がソファでぼんやりとスマートフォンをいじっていると、ラインに着信が入った。発信者は山下とある。大学時代の友人だなとはわかったが、顔が思い浮かばない。
「久しぶりです。お元気ですか? 突然だけど今度結婚することになりました。黒滝くんにもぜひ結婚式に出てほしく思っています。式は来年の3月20日の予定です。お忙しいとは思うけど、可能であれば出席いただけると嬉しいです。また会えるのを楽しみにしています」
戸惑いながら記憶を探っていると、電話がかかってきた。
「もしもし、山下です。突然ラインして悪かったね」
甲高い声に聞き覚えがあった。
「いやいや、そんなことないよ。それにしても、結婚おめでとう」
取りあえずお祝いを言ったものの、思い出そうとすると頭が混乱し、心臓の鼓動が速くなった。
「ありがとう。やっとという感じなんだ」
屈託なく山下は言った。何か気の利いた質問をしようと思うが、言葉が浮かばない。どうにも繕いようがなく、正直に話すしかなかった。
「驚かないでよ……、1か月くらい前から記憶に違和感があって。実は大学時代のことがあまり思い出せないんだ」
「思い出せない?」
山下の声のトーンがさらに上がった。
「そうなんだ、思い出そうとすると、頭の中にうっすらとした影が浮かぶんだけど、しっかり見ようとしてもぼんやりしたままなんだ」
「それはやっかいだね。じゃあ、俺のことは?」
「もちろん、仲の良かった友達だってことはわかる。でも正直言うと、具体的に何をして遊んだとか、どんな話をしただとかが思い出せない」
山下は心配そうに尋ねた。
「そういう風なんだ、医者とかにはかかってるの?」
「うん、通っているんだけど、今のところそれほど効果がなくて」
「早く良くなるといいね。それにしても思い出せないなんてこと、ほんとにあるんだね」
「自分でもびっくりだよ」
「それじゃ、結婚式どころじゃないか」
「いや、式には出させてもらうよ。もしまだ治ってなかったら、何か変なことを言ってしまうかもしれないけど」
「そんなの気にしないでいいって。でも、無理はすんなよ」
「ありがとう。仕事は忙しいけど、医者通いを続けるよ」
「それがいいよ。じゃあ、また連絡するわ。俺に何かできることがあったら、何でも言ってくれ」
達也の頭の中に、ドラレコ画像から現れた茶臼山高原道路の景色が浮かんだ。
「うん、そうだ、ひとつ聞いていい?」
「もちろん」と山下は返した。
「茶臼山高原道路に行ったことある?」
「あるよ」
「近頃やけに、茶臼山高原道路の景色が頭に浮かぶんだ。一緒に遊びに行った?」
山下は少し声を落とした。
「茶臼山高原道路には行ったことはあるけど、お前と一緒に行ったことはないよ」
「そうなんだ。それじゃあ僕は一人で行ったのか、それとも山下くん以外の誰かと一緒に行ったのか、何か知っている?」
山下は一瞬沈黙した後、独り言のように言った。
「本当に記憶が飛んでいるんだな……。なぜその景色が黒滝の頭に浮かぶか、思い当たる節はあるよ」
「思い当たる節って?」
達也はけろりと訊いた。
「俺の口から言うのは違うような気がするけど……」
山下は言葉を濁らせた。
「いいから、教えて。今の僕にとって大事なことなんだ」
山下は決意を固めるように言った。
「あのときは大変だったな」
山下が話し始めると、心臓の鼓動が急に高まった。
「あの日、黒滝は絵里と一緒に茶臼山へドライブに出かけた。茶臼山から見る南アルプスの景色でも見せたかったんだろう。茶臼山高原道路は走っていて気持ちいいしね……」
山下は言葉を区切るように少し間を置いた。
「天狗棚トンネルを抜けた先のカーブで事故は起きた。対向車と衝突したんだ。絵里は亡くなった。対向車のドライバーも亡くなった。黒滝も1月ほど入院した。事故の原因は、スピードの出し過ぎと対向車のセンターラインオーバーだった」
達也は静かに話を聞いたが、具体的な記憶は戻らなかった。しかし、身体の奥底から恐怖と無力感が湧き上がった。茶臼山の美しい景色は遠い夢のように思えた。
第7話:https://editor.note.com/notes/nf1055f62735c/edit/
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