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「ドラレコの記憶は途切れない」第14話

 週末の夜、発売審査会議を終えた打ち上げを行った。やるべきことはまだまだたくさんあるが、大きな節目を何とか乗り越えた。参加者は15名ほどで、管理職は課長だけの気楽な打ち上げだ。

会場は入社2年目の若手が選んだ、木を多用した内装にアンティーク調の家具が置かれたイギリスのパブ風の飲み屋だった。

 乾杯を終えた後、開発の苦労話が盛り上がり、店内に笑い声が響いた。時間が経つにつれ、自然といくつかのグループに分かれ、それぞれが話に花を咲かせた。店内を満たすBGMと笑い声の中で、達也の眼は無意識に麻耶と談笑するミゲルの姿に引き寄せられた。ミゲルに言ってしまった言葉が頭をよぎり、胸が締め付けられるのを感じた。

 達也はジョッキを手に、2人のテーブルに向かった。気づいた麻耶が満面の笑顔でジョッキを掲げて言った。

「お疲れ様でした!」

 3人で乾杯した。

 ミゲルもリラックスした仕草でジョッキを傾けた。

 ミゲルにきちんと謝ろうと思ったが、麻耶もいることだし、楽しい場の空気にそぐわない気がして躊躇った。協力会社の人の笑い話でもしよう、と口を開きかけた瞬間、声がした。

〈ものごとには優先順位があるやろ。いまはミゲルや。はや、あやまらんかい〉

 声に背中を押されるように、達也は勇気を出した。

「この間は軽はずみなことを言って、本当にごめんなさい。両親が移民だって知っているのに、あんなことを言ってしまって……」

 ミゲルが一瞬息をのみ、重い雰囲気が漂った。

 鼻からすっと息を吐き出して、ミゲルは言った。

「もういいです。いろいろ大変だったのはわかってるから」

「本当にごめんなさい」

 達也は頭を下げた。

 ミゲルはジョッキを掴むと大きく一口飲んだ。少し沈黙し、達也を真剣な眼差しで見つめた。

「移民の子どものくせに移民を受け入れるなと思っているだろう、って言われたとき、本当に頭にきた。でも正直言うと、そう思ってる。だから余計に腹が立った。今以上に、メキシコ移民っていうだけで、不法移民や麻薬カルテルと一緒くたにされたくないんだ」

 ミゲルは深く息を吸い、達也の表情を伺った。達也は真剣な眼差しでミゲルを見返した。

「黒滝さんに言われた後、改めて移民2世の自分はどうすべきかって考えた。人権保護と経済成長の観点で、移民は受け入れるべきだ。でもみんな、表立って口にはしないけど、心の中に反移民感情を持っている。主に自己保身のためだね。自分もそうだし、たいがいの日本人だってそうじゃないか」

 確かにそうだ、と達也は思った。

「それで政府はどうするかと言うと、みんなが持っている反移民感情に配慮し、移民の取り締まりを強化する。でも注意深くよく見てみると、それは単なる見せかけに過ぎないとわかるんだ。不法移民を雇うと法律で罰せられるけど、罰金はわずか500ドルだし、実際に罰せられるケースは稀だ。トランプがメキシコ国境に壁を建設した時でさえ、実際には多くの移民を受け入れていた」

 達也は考え込むように頷いた。

「見せかけの移民取り締まりをやめるなら、バイデンが言うように、合法移民を計画的に受け入れることになる。けれど現実にはうまく機能しない。現に先月、従兄弟が苦労してメキシコからアメリカに入国したけど、たらい回しにされた挙句、やっとニューヨークに着いたと思ったら、強制的にバスに乗せられ送り返された」

 ミゲルの声が徐々に高ぶった。

「移民受け入れ派のニューヨークでさえ、キャパオーバーに耐えられない。こうなると見せかけの対策や実現できない政策ではなく、人間の本質として、移民の受け入れを考えなければならない。不利益をもたらすかもしれない他者を受け入れられるか? 自分の成長につながると信じ、他者を受け入れられるか? 無条件に他者を信じ、与える態度を取れるか? そういう所に行きつくと思う」

 ミゲルの発した言葉が、達也の心に深く響いた。それは達也にとって、移民問題を超えたものだった。達也は自身に問いかける。本当に他者を受け入れられるか? それが、自分の成長に繋がると信じられるか? 無条件に信じ、心を開き、与える態度を取れるか?

 達也が考え込む中、麻耶が静かに口を開いた。

「不利益をもたらすかもしれない他者を受け入れられるか、って身につまされます。移民問題とはちょっと違いますけど、私の場合……、母は私にとって他者でもないのに、病気の母は私に不利益をもたらす面倒な存在でした。母のために自分の時間が取られ、仕事に集中できず、気分転換をする時間も取れないって」

 麻耶はちらりと遠くを眺めた後、続けた。

「でも、休みを取って、母のそばにいて気づかされました。それは違うって。パーキンソン病になってやめてしまったんですけど、母はダンス教室の講師だったんです。母が言うんです。人生ってダンスみたいだって。思うように身体が動かなくても、ふらつきながらでも、リズムを見つけられるって」

 麻耶の声が、わずかに震えた。

「いろいろあって、これまで母を避けてきました。病気になってからも、本当にどうしようもない時だけお世話しました。でもほんの少し余裕で、義務感だけでなく、母の気持ちに思いを寄せられるようになりました。それでもやっぱり母がうっとおしいのは変わらないんですけど」
 
第15話:https://editor.note.com/notes/nc878b2d2f11c/edit/ 

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