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古武道を学ぶ上での失敗

これまで古武道をを学ぶ上で、6つの失敗があった。

 一つは、古武道を健康法の一つとしてとらえてしまっていたこと。
古武道は健康のためにやっているのではない。祖先から教わった大切な技術、考え方を学んでいるのである。結果として健康になることはあるだろうが、それが目的ではない。祖先伝来の刀を渡して、あーこれちょうどいいわと料理に使われたら良い気分はしないであろう。

 一つは話を聞く態度でなかったこと。
師匠から棒を教わっているとき、棒をくるくる回しながら話を聞いていた。特に師匠は何も咎めなかったが、これは人の話を聞く態度ではない。猛省すべき点であった。

 一つは師匠に自ら自分の評価を問うてしまったこと。
明らかに不満な顔をされたのを覚えている。フィードバックを求めるというのは社会では大切だとされているが、そのフィードバックを相手に強要してはいけない。アドバイスを受けるにしても頼み方というのがある。

 一つは先輩に試すような行いをしてしまったこと。
師匠を試すということはしないが、先輩を試してしまった。どれくらい強いのかどうしても試したくなる。

 一つはいろんなところでみだりに動きが出てしまっていたこと。
滑稽な動きになる。周りはさぞ変な目で見ていたことであろう。これは、学び初めによくある考えである。面白くて知恵をひけらかしたくなるのと同じである。

 一つは他の武術のことを問うたこと。
そんなこと知ったことではない。また、自分の流派が一番だと思っているからこそその流派をやっているのであるから、他流のことはどうしても批判になる。相手は相手、私は私でやるストイックさが必要なのだ。

 これらのことは、今となって思い返すと紅顔の至りである。師匠にも申し訳ないことをしたと思う。しかしながらこれに気づけるようになったということは少しでも成長したのであると思いたい。
自分がされて嫌なことはやらない。これに尽きると思う。よく自分がされてうれしいことを相手にもしてあげなさいという言葉があるが、これには私は同意しない。

 師匠がいつかおっしゃっていたのは、古武道を学ぶということは恋人と付き合うようなものであるということだ。真摯に向き合わなければならない。浮気をして他の武術に手を出すようなことがあってはならない。もし、ほかの武術を学ぶのであれば、今身につけたものをすべて捨てて向き合わなければならない。恋人の前で前の恋人の話をしたり、前はこうだったといってうまくいくはずがない。今の恋人にも失礼だし、前の恋人に対しても失礼である。とはいえ、一度身に着けた動きはなかなか抜けないものである。それはそれとして大切にして置き、ほかの武術を学ぶ際にはそれを一切出さないという器用さが必要である。それくらいできないと古武術を学ぶ意味はないのである。

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