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時結い人 第3話

第3話: 運命の出会い

冷たい風が頬を撫で、葵はその場に立ちすくんでいた。目の前で弱々しい息をする男が、坂本龍馬だという現実を、頭で受け入れることができなかった。

「本当に、坂本龍馬……?」

その名は、日本史上でも屈指の英雄として語り継がれる人物だ。彼の存在がなければ、幕末の激動の時代を生き抜く多くの志士たちは、今の日本へと繋がる未来を切り開くことができなかったかもしれない。だが、そんな歴史の教科書に載っている人物が、自分の目の前に、命の危機に瀕している。葵は現実感のない状況に戸惑いながらも、目の前の龍馬に向けてできる限りの応急処置を続けていた。

「お願い、持ちこたえて……」

手の中の布はすでに血に染まっていたが、彼女の手は止まることなく彼の傷を押さえ続けていた。冷静に考えれば、自分がどうしてここにいるのか、どうして歴史上の英雄と出会ってしまったのかを理解する必要があるはずだ。しかし、今はそれどころではない。ただ、彼を助けることだけに集中していた。

彼女の耳に微かな声が届いた。

「……俺を……」

「何……?」

龍馬はかすれた声で、ほとんど聞き取れないような言葉を呟いた。彼の目は半ば閉じられたままだが、何かを伝えようとしていることだけは感じ取ることができた。

「俺を……ここから、連れて行け……」

その言葉に、葵はハッとした。彼は今、自分の命が危ないことを自覚しているのだ。そして、自分の立場も理解している。彼はただの侍ではなく、幕末の激動に身を投じる志士であり、敵に狙われる存在であることを。

「ここにいてはいけない……」

葵は周囲を見回した。今は誰も彼らを気に留めていないが、このままここにいれば、彼を助けるどころか、さらなる危険が迫る可能性があった。彼女は何かに突き動かされるように立ち上がり、龍馬の体を支えながら、できる限りの力で彼を抱き起こした。

「大丈夫、私が何とかするから……」

彼女はそう呟き、体力がほとんど残っていない龍馬を支えつつ、近くの路地へと彼を連れ出した。足元は不安定で、二人の歩みは遅かったが、今はそれしか方法がなかった。彼を安全な場所に移動させ、何とか治療を続けなければ、彼の命は危うい。

何とかして人目を避けながら、彼女は町外れの古びた家にたどり着いた。その家は、明らかに廃屋となっており、住人の気配はない。だが、今の彼女にとっては、ここが唯一の避難場所だった。彼女は慎重に家の中に入り、ほこりまみれの床の上にそっと龍馬を横たえた。

「よし……これで少し休めるはず」

彼女は自分の呼吸を整えながら、龍馬の顔を覗き込んだ。彼の顔はまだ青白く、命が危ういことに変わりはなかった。だが、少なくともこの場所でしばらくは安全だと感じていた。

「あなた、本当に坂本龍馬なのね……?」

葵はそっと問いかけたが、彼からの返事はなかった。ただ、かすかな息を繰り返しているだけだ。彼女はその姿に、心の奥底で震えを感じた。この人が、歴史の中で英雄と称された坂本龍馬であるならば、彼を助けることが歴史にどんな影響を与えるのか——考えると、恐ろしい思いが湧き上がった。

「でも……私は、あなたを助けなきゃならない」

葵は自分の手でできる限りの応急処置を続けたが、現代の医療器具もないこの場所では、限界があった。彼をどうにかして助けなければならない。しかし、どうやって?

その時、家の外から微かな物音が聞こえた。葵は一瞬凍りついた。誰かがこの家の近くを通っている——それが敵なのか、味方なのかも分からない。葵は咄嗟に龍馬の体を隠し、自分も息を潜めた。

「誰……?」

外の物音は次第に近づいてくる。葵の心臓は激しく脈打ち、全身が緊張で固くなっていた。敵がここにいるのだろうか? それとも、助けが来たのか?

その瞬間、家の扉が開かれた——。

次回、第4話へ続く。

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