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褒められると泣きたくなる


ポーカーフェイスと言えば聞こえはいいけれど

私は人見知りだ。新しい環境に入ったときなど、そこにいる人たちが「私のことを否定しない」と分かるまで、むっすりと押し黙ってしまう。挨拶もほとんどままならない。体調が悪いか、機嫌が悪いか、不愛想な人と思われてしまう。「こわかった」という人もいる。

人生がやる気を出してくれない

昔はこんなんではなかった。調子のよかったころは逆に誰彼なしに話しかけて、「君としゃべった後はみんな笑顔になって仕事に戻っていくね」と言われたぐらいだったのである。しかし今は見る影もない。失礼のないように気を張って、最低限のやり取り、必要な説明を漏れなく、ということだけを意識する。人が集まっているところで一番大事な「なんとなくあたたかな雰囲気の無駄話」を避けてしまう。人生に元気がなくなってしまったのだ。

この世は仮面舞踏会だから

つまり、よそ行きの自分なのだ。そこにいる人たちが「私を否定しない」と分かるまではそれを続けないといけない。うっかり気安い気持ちになったら、またいじめられる。そうして、「私を否定しない」と分かったところで、調子に乗ってはいけないのだ。私はちょっと人と感性が違うのだ。思ってることを口にしたら、変な人、輪を乱す人と思われてしまうのだ。

仮面の下の私を褒めないでほしい

よそ行きの自分を続けていると、なぜか評価してくれる人が現れる。しかも私の人間性を褒めてくれる人が。そんなとき私は何故か泣きたくなる。「私はそんなに良い人間ではない」と心が喚く。そしてずっと良い人を続けなければいけない、と思い出す。それから、そんなことは出来ないと思う。そして、それが出来なくなったら、みんな離れていくよな、と思う。ここまでを想像して、褒められると泣きたくなる。

いつだって、今でも、今も、人間になりたい

私は色んなことを手作りしてきた。何をしたら気味が悪いと思われ、何をしたらまともな人と思われるのか。そうしたことを調整して、「シュッと背筋を伸ばしたように見える人」を作ってきた。その内面は、どうにかみんなと仲よくしたくて、キモさで人に迷惑をかけて嫌われたくなくて、なるべく人の役に立ちたい、そういう動機からだった。なんというか、人に対して「いいもの」でありたかったのだ。そういう、心の奥にあった「ただしい気持ち」に触れるような言葉を言われると、泣きたくなる。嬉しさと同時に、「いや、こんなきたない人間は死んだ方が良いんです」という気持ちが心のお椀の中でぐるぐるに混ざって溶ける。

私は化け物じゃない 化け物じゃなくて良い 化け物じゃないと生きていけない/生きていてはいけないと思っていた 何を言っているか分からねーと思うが

私を人と違う化け物として愛してくれた人は大勢いた。
でも私は普通の人間としてみんなの集まりの中に混ざりたかった。
いつも、いつでも、自分の成分ゆえに「みんな」と混ざり合えない自分がしんどかった。
仮面なしで人と会いたい。
狐のお面はきれいだけど目がつり上がっててちょっとこわい。かたいし。
もう少し人間らしいお面をつけたい。
お面をつけたりはずしたりしながら人間の世を生きていきたい。


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