山本文緒「なぎさ」(角川文庫)読後感

現代の作家はあまり知らないし作品もあまり読んでいないが、中島京子の「かたづの」を読んで、さて次はと思っていたら、村山由佳(この作家も知らない)が同世代の「山本文緒の世界」を朝日新聞(2021.11.27)で語っていた。58歳で10月に亡くなったのだという。井上ひさしも司馬遼太郎も亡くなってから惹かれて読んだことを思い出す。特有の世界があると言われて、五反田で釜石に行くJRのチケットを買いに行ったついでにTUTAYA書店で手に入れた。「自転しながら公転する」という本が最新作でいくつかの賞もとったとあり、題名も気になったので探したが在庫はなかった。賞を取ったような作家の小説でさえ1年くらいで、本屋から消えてしまうのかと思った。やむなく文庫本の中から「なぎさ」を読むことにした。釜石の往復の新幹線で一気に読めた。
2013年刊行というのが、15年ぶりの小説ということらしい。30前後の若者が、どう生きるのか、どうやって稼ぐのか、なんとも現代を感じさせてもらった。海岸や渚が舞台になっているのも、釜石市唐丹湾のさまざまな風景を思い浮かべられてよい。姉妹、家族もテーマになっている。主人公の語りのような形になっているが、一人は親とうまくいかずに逃げるようにして夫と横須賀に来ている冬乃。もう一人は、その夫の部下のブラック企業に勤める川崎。14話のそれぞれが、書き出しは場面展開の何が始まるのか、すぐはわからなくて、それが読ませる。
「レーバーとワークの違いわかるか」という会話が出てきたのは驚いた。これは、あきらかにハンナ・アーレントの「人間の条件」の哲学的メインテーマだ。現代社会で若者が働くことの大変さの部分をあっさりとうまく切り出している。カフェを始める話にしても、誰しもそんな夢を自分の夢に置き換えて読み進められるし、それが市場経済の波に翻弄されたりもする。
たまたま知り合った所さんと名付けたおじさんとの距離がだんだん縮まり、カフェが続けられなくなったつらさと同時に結婚状態が危機的にもなって、相談に乗ってもらうあたりからがハイライトだ。賑やかなアメリカ人の送別パーティという場面の中で、おじさんの言葉が生きることに力をくれる。
「力まなくていいよ。けりなんかつかないよ。でも気持ちに区切りをつけるのはいいことかもしれないね。生きていくということは、やり過ごすということだよ。自分の意志で決めて動いているようでも、ただ大きな流れに人は動かされているだけだ。成り行きに逆らわずに身を任すのがいいよ。できることはちょっと舵を取るくらいのことだ」冬乃はけっこう涙を流すのであるが、このあたり5,6ページの会話を反芻し、読んでいてティッシュ3枚ほど使ったのである。新幹線の中で、3日間の仕事を終え、ビールで頭もやや興奮気味ということもあったのだと思うが、これで「なぎさ」は印象に残る小説になった。
終わり方はめでたし、めでたしというハッピーエンドではないが、ドラマチックな展開を終えて、冬乃も川崎も、それぞれ人間としての新たな生き方が続くというように、フェードアウトする感じだ。

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