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小泉八雲の周りの女性たち

これは、「かくも甘き果実The Sweetest Fruits」という少し怪しげなタイトルの翻訳書の読後のメモである。
小泉八雲の印象は、怖い話を書いた外国人。出雲のイメージも多いのは、出雲大社で結婚式を挙げたとか、没落した武士の小泉家に養子に行ったとかであるが、実際に住んでいたのは、わずかであった。小泉セツと一緒になって、松江に1年弱しか住んでいなかった。その後、熊本に3年、神戸に2年弱、東京に8年という。(p.216)
アイルランドの血が混じっていることが、キリスト教とは違う、八百万の神のいる日本がしっくりしたのだとか、アメリカでは記者であったことも知っていたが、その個人的、家族的様子は、随分とドラマチックに書かれている。
構成も面白い。八雲の死後、比較的短い期間の1906年に、エリザベス・ビスランドという人が、ラフカディオ・ハーンの伝記を書いており、それを引用する形で、3人の女性の思い出話の導入に挟んでいる。
母親ローザは、ギリシアの島の没落貴族の娘で、当時、英国領だったことから、下士官のチャールズと結ばれて、ラフカデイオが生まれる。しかし、父親は、あちこちに転任していることもあり、実家のあるアイルランドに子連れで身を寄せるが、息子を置いて、またギリシアに戻る。成長したラフカディオは、アメリカへの留学の機会をもらうが、事故で片目を損傷する。
ラフカディオの初めの妻は、シンシナティで新聞記者をやっていた時代に知り合った黒人のアリシア。お互い好きあってはいたものの、黒人と白人の結婚が社会的にうまく入れられず、ラフカディオは、静かに去って行く。
そうして、日本にやってきて、出雲の国で生活を始め、3男1女をもうけて、東京帝国大学の英文学の教授職を得るものの、日本に来たときから病み勝ちであり、1904年9月26日(この日は、私の義母の命日にあたる)54歳で生涯を閉じる。
この本を書いたのは、ニューヨーク在のベトナム人モニク・トゥルン。ローザもアリシアも読み書きが不自由ということで、記者が話を聞いて文字にした形になっている。このあたりは、当然、著者モニクが生まれるずっと前のことになるから、資料をもとに創作ということは間違いないと思う。小泉セツが語っているのは、八雲が亡くなった2年後1906年という設定。愛する人と別れる様子が、外見や客観的にはドラマチックなのに、当人にしてみると、細かい日常の一コマ一コマが、偲ばれて、時代や文化を感じさせらる。
翻訳小説としての面白さを味わった。

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