夢見る帝国図書館(中島京子著文芸春秋刊2019年)を読んで

喜和子さんという、自分の母親の年代のミステリアスな人と上野で出会った作者が、喜和子さんの周りの人との輪のひろがりをたどることで、なぞの人生をさぐる話が展開していく。そしてコラムのような形で、上野に誕生した帝国図書館が今日までこども図書館として歴史の断片が24の擬人化された図書館のエピソードとなって登場する。
そこに第二次大戦が落とした影の大きさが、社会性をもって現れている。東京都内の中で上野界隈の特別な空気が、時代とともに描写されている。
帝国図書館に関するコラム情報は、この小説の世界に入って行くために読者が共有しておいてほしいという作者の親切心なのであろうが、あるいは、これ無しで、喜和子さんの物語だけの方が、すっきりしたかも知れないと思ったりする。
作者によれば、この小説は表題も含めて、喜和子さんとの約束の実行でもあるということになっているが、喜和子さんの意図が、ほんとうにどういうものを求めていたのかわからない中で、作者の答えということであり、そのためには喜和子さんも知らなくてはいけないし、帝国図書館も知らなくてはいけないということになったのだ。
図書館にまつわる中で、樋口一葉や宮沢賢治や宮本百合子が登場したり、戦時に香港から略奪した貴重書が、戦後になって持ち主に変換されたり、公共図書館故に閲覧できた本の数々が語られたり、いろいろな発見をさせてくれる不思議な小説である。そして作者はフィクションであると断っているが、読む者にとっては、99%が作者の実体験を書いていると感じさせる。母と娘の関係についてもひとつのテーマになっている。
そうなのだ。不思議な喜和子さんとの出会い。喜和子さんの不思議な人たちとの出会い。戦争という国家が国民にさまざまな辛さをもたらした中でも、さらに底辺に置かれ、貧しく辛い人生を送ったような時代と状況を想像しつつも、本を介しての人との出会いが、いくつかの幸せを喜和子さんにもたらした。それを紐解いたお話ということだ。
「かたづの」は不思議な小説(歴史ファンタジー)であったが、この本もとても不思議な、そして後味のよい小説である。散骨を望んでいた喜和子さんとのお別れの集まりを「祝祭」と呼ぶ人が居たりする設定は、作者の喜和子さんをちゃんと書けたという満足感の現れか。

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