大澤昭彦著「正力ドームvs NHKタワー」に見る歴史

「高層建築の世界史」を書いている著者が、昭和の巨大建築の抗争を歴史としてまとめたもの。実は、昨年末、予告の話を聴いていた。戦後の話は、自分の時代認識とともにあって、登場人物も具体的にイメージできたりするから、プロジェクトを実現しようとするエネルギーも伝わったし、敷地もわかるだけに興味深く読めた。
 第1章は、戦後のテレビ放送の開始における日本テレビとNHKのタワー誕生物語。二番町に154mの日本テレビの鉄塔が正力松太郎のパワーで建てられた。一方、NHKも負けじと紀尾井町に178mの鉄塔を建てて、テレビ放送を先んじた。1953年のことである。電波行政を司る郵政省は、出来れば共用でと言いながらコントロールできなかった。現在、JRは羽田空港へのアクセス線を計画しており、同時に東急+大田区が新空港線と称してJR蒲田から京急蒲田への延伸を計画している。何か似た構図を思い浮かべる。民放が増えて、1958年には、東京タワーが芝公園に日本テレビを除く1本化の形で建設される。つくろうとするさまざまな人間の動きと正力の思惑や行動、国の対応など、詳細な経過が具体的に記されている。小学生のときに、すっくと立ちあがった東京タワーを見ての感動に、これだけの物語が隠されていたかと驚くばかりだ。どこの土地選定にあたっても、都区内の場合は、宮家(旧武家屋敷)との絡みがある。湯島の岩崎邸や赤坂の李家は、「住まいマガジンびお」で、旧岩崎邸や赤坂プリンスクラシックハウスを取り上げたことから、敷地と建物が目に浮かぶ。残されて良かったとの思いにもつながる。不忍池が埋め立てられなくてよかった。岸田日出刀の緑地確保への発言は、貴重だった。今の都市計画の審議が心配だ。
第2章は、屋根付き球場へ向けての正力の必至の活躍。ここでも、不忍池は候補にあがっている。東急ヒルトンホテル人脈で星野直樹、久米権九郎、丸山勝久の企画は、1956年に計画案にまとめられている。翌年には156ページの報告書を残している。さらに帝国石油本社に使われていた大久保の前田邸跡地には、大手ゼネコンにそれぞれ案を作らせたり、大成案にはバックミンスター・フラーも呼んで武藤清、内藤多仲と議論したというのだから、驚く。夢だけで終わってしまったのであるが、終章で語られる、東京ドームが1984年に後楽園スタジアムの保坂誠の発表の後、スムーズに1988年に完成したというのも、時代がそういう状況にあったということか、実にあっさりしている。もっとも、精力的な調査も議論もあっての東京ドームではある。風荷重や雪荷重の評価にあたっては、委員会での審議に加わって楽しかったし、新しいものへ挑戦する、それなりのエネルギーは実感したのは確かである。
 第3章は1966年に正力がフラーに4000mのタワーの設計を依頼したというから、これまた驚異だ。さらには、1辺3.2㎞の四面体タワーの100万都市まで計画したというが、本気の実現性を考えていたとはなかなか思われない。しかし、その後、550mのタワーをゼネコン3社に検討させたのは、夢実現への最期の意志を持ってのことであったろう。先の大久保の土地で1968年には起工式まで行われている。技術陣で懇意にしていた南日恒夫のエピソードも興味深かった。バッハの無伴奏チェロ組曲まで登場した。そこに登場する大成建設の鈴木悦郎あたりは、距離が近くなるし、可児長英は、もう今の人だ。再び、正力タワーとNHKタワーが激突する。
 第4章は、未完のNHKタワーの話で、こちらは、武藤清がバックアップした610mのタワーで、シドニー・オペラハウスで活躍した三上祐三のデザインが登場したのも、全く知らなかった話。この動きについても、結局は、比較的あっさりと、デジタル化の波の中で、634mの東京スカイツリーが2012年開業という形で、現実となった。敷地選定委員会に呼ばれて、大宮、池袋と比較して、台東区と墨田区の推薦による東武鉄道の敷地に決まるまでの議論を思い出す。「下町の防災拠点としての意味もある」などと発言した記憶があるが、ほとんどそれが見える形にはなっていないように思うのは残念だ。ただ、プロジェクトの実現には、敷地選定が重要で、そのあたりも民主的な議論の上にあることが大切だと痛感する。
 超超高層ビルについては、大手ゼネコン各社が1990年前後に1000m級のものを提案したことが、終章で少し触れられている。日本建築センターや、建築学会の中にも小堀鐸二中心に検討委員会が設けられたり、大林+ノーマン・フォスターの案では、青山博之らと共に検討会に呼ばれたことも思い出す。
 ここに紡がれた歴史は、巨大プロジェクトを動かす人間の強烈な動機とエネルギーが不可欠であることを示している。それでも実現するかしないかは、社会における存在することの意味から見えてくるものがある。登場人物が、なによりも以前から知っているけれど、そんな振舞をしていたのかという発見をともなって、おもしろかった。


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