佐藤究の現代小説「テスカトリポカ」に驚く

2週間ほど前の読売新聞の書評に、佐藤究の最新作が取り上げられて、テスカトリポカで直木賞を取った天才作家と紹介されていたので、興味をそそられて、最新作よりは、直木賞の方を取り寄せて読んだ。
確かにミステリーだとはいうのだが、ほとんどの場面が、強烈な殺しや麻薬、生贄や臓器売買と、すさまじい世界が描かれている。また主要な言葉がスペイン語だったり、アステカ語だったりして、なかなか頭にはいらないのが、新鮮といえば言える。
最初の舞台がメキシコでの麻薬密売人仲間の殺し合いだったのが、生き残った一人が日本に登場したことで、また別の展開が始まる。それもメキシコの血やペルーの血が流れている人間、中国人らが暗躍する。
日本広しというのに、場所が大田区だったり、川崎市だったり、身近なのがまた想像を強烈にする。今の人たちは、こういう小説を、読んで感激するのだろうか。松本清張やポアロ、シャーロック・ホームズとは、まるで違う。群像新人文学賞を2004年に、20代で受賞していることからも、天才作家と言えるのだろうが、少々強烈過ぎて、この年の人間としては、とりあえずは、もっと読みたいというようにはならなかった。
児童虐待から子どもを救う福祉の仕事に携わる女性の登場など、ところどころに、ほのぼのとした現代の風景が現れたりもする。主人公が2021年8月26日に死ぬのだが、26日が自分の息子の命日で、また印象に残ったり。小説であっても、登場人物に自分を重ねてみたりすることがあるが、さすがにテスカトリポカの登場人物には、そのような人間は見当たらなかった。
エピローグとは書かずにエピローグが最後に付けられている。800年前のアステカの昔物語を、おばあさんが男の子の兄弟が語り聞かせるという内容の短編になっている。その内容を現代風にアレンジしてふくらませるとこの小説のようになることのようにも思ったりすると、許せる気もした。
さらに想像を膨らませると、わが国でも、戦国時代や飢饉のときに、人間社会がどうあったかを思うと、あり得ないと思うようなこの小説の話も、同じ人類のなすことであれば、そんなにありえなくないかもしれないと思えたりする。人間とは、不思議な動物だということが主題かもしれない。


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