すこしだけつよくなる


大好きなカレー屋さんのチキンカレーが食べたくなり自転車漕ぐこと40分。

「お好きな席へどうぞ」
少し高い声の黒丸眼鏡の店主が進めてくれた
入り口入ってすぐの壁際に腰掛ける

先客は奥のテーブルに男女一組のみ。

チキンカレーセット。(辛さ)中間で。…飲み物はホットコーヒーお願いします。

鞄から読みかけの文庫本をテーブルの上に置いてページを開く。

「…でもわたしが気になるのはカラスに気づいたのがほんの偶然からだった、という部分だ。
私はほかにもいろんなことを見のがしてきたんじゃなかろうか…わたしに向かって発せられたのに聞きそこねた、どんな言葉があっただろう?…」

いつも最初にサラダが来る
ここのカレー屋さんのサラダにはリンゴが入っている。甘酸っぱいドレッシングでレタスとリンゴを口に入れると小学生の給食に出てきたサラダを思い出す。コップ半分の水を飲む

「…わたしがここまで長生きできたのは、過去をぜんぶ捨ててきたからだ。悲しみも後悔も罪悪感も締め出して、ぴったりドアを閉ざす…」

背中越しにカランコロン
「お好きな席へどうぞ」
女性がひとり席につく。
はおってた黒いダウンを荷物入れに置く
「エビカレー。中間で。飲み物は…ラッシーで」
デーブルの上に本を広げる。
黒いパーカーの背中に白いロゴ
「tsuyokunaru」


「お待たせしました」目の前にカレーが届く。
スプーンでいつもの様に右端から食べ始める。
これこれ。これが食べたかったカレー。
口の中からカレーがなくなるのが切ないので
すぐにスプーンですくっては口に運ぶ。
あっという間に左半分だけとなる。
水を飲む。もう少しゆっくり食べよう。

「…もしもちょっとでも甘い気持ちで細く開けたが最後、バン! たちまちドアは押し破られ、苦悩の嵐が胸の中に吹き込み恥で目がつぶれコップや瓶が割れジャーは倒れ窓は割れ こぼれた砂糖とガラスの破片でしたたか すっ転んでおびえ取り乱し、そうしてやっとぶるぶるふるえて泣きながら重いドアを閉ざす。散らばった破片を一から拾いなす。…」

たたみかける妄想のリズムとイメージ。
我に帰りふたたびカレーを口に運ぶ。
カレーの中のチキンが口の中で踊りシナプスは脳内を駆け巡り取り乱しドアというドアを開いては閉じ閉じては開き、奥に広がる微かな果物の弾ける音を捉えたのは果たして聴覚なのか触覚なのかそれは果たしてわたしなのかそれともわたし以前のだれかなのか。散らばった思考を一から拾いなおす


背中からカランコロン
「お好きな席へどうぞ」

小さなお店でカレーがとても美味しくて
いつもちょうどいい按配にお客さんが途切れずそれでいて静かなので休日の昼下がりに本を広げると食べ終わって珈琲を飲み終わる頃にちょうど短編小説を読み終えることが出来る。

ここのカレーを食べた人たちは休日のほんのひと時をここで過ごしてまた日常に帰っていく。

ほんの少しだけでも
tsuyokunaruことが出来たのだろうか。




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