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バッドターニングポイントその1ー1

あんまりたくさん心に溜めてしまって、どこから書いたらいいのだろう。途方に暮れる。
私の人生が悪い方に大きく変わったポイントが3つある。今回はその1つ。

最大のそれは、20歳の時。
父は今はない遊園地の企画を担当していて、台湾の遊園地と提携して現地に数年出張していた。大きな恐竜を船で運ぶ様子が現地の新聞にも載ったようだ。

私はアパレルの専門学校の2年(二課在籍と言って全日と夜間を取り4年かかる卒業を3年にするのを学校が推奨していて、そのように皆していた)。アパレルは、とにかく作品を提出するのにも何をするにもお金がかかる。遊ぶのにも忙しい。
この時にできたたくさんの友人は、今でも続いて時に支えてくれている。

あと数ヶ月で3年生(2年の時に別の学部の夜間にも在籍して4年の通学を3年に縮めた)に上がるという時、突然に父が職を失った。
一緒に台湾に出張していた同僚が、家族を何度も経費で台湾に連れて行っていたなどの背任行為があり、プロジェクトから降ろされた事が引き金だったらしいが、首になった。いきなり無職だ。
詳細は私には聞かされていない。

弟が2人いて、1人は専門学校1年(2年制)、1人はまだ高校3年生。
春前には私ともう1人の弟の学費の納入がある。

母は、カッとなる性格で、献身的なのに支配的な人で、
兄弟全員を父の前に座らせて、父に文句を言うように迫った。内心、どんなに詰ってもこの事に意味はないし、気は進まなかったが、「言いなさい!」と言われ、自分ではなく母を満たすために、わざとめくじらを立てて父に思いつく限り文句を言った。父は黙って聞いていた。

私は通うのにも、作品を出すにもお金がかかるし、3年は卒業制作もあるので、さらにたいへんだと思い、休学したいと言った。
その間、バイトして学費と小遣い貯めて、更には部屋も借りる算段だった。
そう思うと逆に心が軽くなった。
ただ学校に行くだけでは意味がないからだ。

しかし母はぶち切れ「絶対に3年生に上がりなさい!!」と言ってそれを許してくれなかった。

その事が後に大きな痛手となる。家族にとっても。

その1-2へつづく

#統一教会 #高額献金

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