キャベツの客人

子:今日は両親がいない、ということは! 消しゴム大相撲し放題だ!
  1人で消しゴムを弾いていると、
  親が優しい笑顔でピアノの練習させようとしてくるんだ。
  僕はそんなことより、消しゴム大相撲をしたいんだい!
  ……んっ、何か玄関のドアが開いたような音が……でも
  チャイムは鳴っていないし、でも一応見に行こうっと……わっ!
婆:あぁ、どうもどうも。
子:おばさん誰っ? そのキャベツ何っ?
婆:いやこれはお母さんやお父さんに言えば分かるからね。
子:えっ? どういうこと? どういうこと?
婆:お母さんやお父さんに『キャベツ来たよ』と言えば分かるから。
子:いやでも僕気付いてきたから! 名乗ってよ!
婆:いやいや、分かるから。
子:待って待って! 帰ろうとしないで!
  僕玄関に来て顔見合っちゃったから! 名乗ってよ!
婆:いや田舎はね、それで大丈夫なんだよ、坊や。
子:いやでも見合ったから! 目も合って会話もしてるから!
婆:大丈夫、お母さんやお父さんに言えば分かるから。
子:でも名前が分かったほうが分かりやすいじゃない!
婆:もう知ってるから、このキャベツは置いていくね。
子:いや名乗ってよ! 何か怖いから!
婆:怖くはないよ、お母さんやお父さんに言えば分かるから。それじゃあ。
子:いやいやいや! 何その田舎の作法! 怖い!
  名乗ってよ! 絶対名乗ってよ!
婆:大丈夫、お母さんやお父さんに言えば・・・
子:分かったとしてもだよ! そもそも人に会ったら名乗ろうよ!
婆:君は誰かな?
子:僕からっ? えっと、じゃあ、安村家の卓人といいます。
婆:よろしい、うまく挨拶できたね、それじゃあ。
子:ちょっ! ちょっ! おちょい!
婆:おちょい?
子:うわ、もう初めて『おちょい』なんて言っちゃったよ!
  おばあさんも名乗ってよ!
婆:それはお母さんやお父さんに言えば分かるから。
子:言うんだよ! もうこうなったら言うんだよ!
  そして何のキャベツなんだよ!
婆:このキャベツは既にひき肉が入っている、ひき肉キャベツだよ。
子:それは言うんだ! あとキモイ!
  冷蔵庫に入れないとダメなヤツだし!
  それを誰にも言わず玄関に置いておこうと思ったのっ?
婆:なんせお母さんやお父さんは分かるからね。
子:野菜だけならまだしも生ものがあるなら、もう名乗ろうよ!
婆:じゃあ分かった、この場でひき肉を抜くことにするかね。
子:何でそこまでして名乗りたくないんだ!
  あっ!
  ひき肉を生手でグイグイ取り出して、自分のポケットの中に入れてる!
  でも衛生上もうダメだよ! 一度生肉を入れた野菜は菌がついてるよ!
婆:ちょっと、そんなおばあさん菌みたいなことは言っちゃダメだよ。
子:そういう小学生のイジメみたいなこと言ってるんじゃないよ!
  触ったらおばあさんになるおばあさん菌のある蛇口だから
  使ったらダメだよ、じゃぁないんだよ!
婆:いつかみんなおばあさんになるんだから。
子:ならないよ! 僕は男子だからならないよ!
婆:まあそれも含めてお母さんやお父さんに言えば分かるから。
子:何を含めたんだよ! おばあさんにみんななるのくだりのことっ?
婆:それが1位だよ。
子:いや名前を1位に据えなよ! 何、名前問題を軽視しているんだ!
婆:とにかくお母さんやお父さんに言えば分かるから。
子:本当にっ? 本当におばあさんは僕の両親と親しいのっ?
婆:親しいとか親しくないかじゃない、言えば分かるから。
子:何をっ? というか名前を言わせてよ! 名前を言えば分かるから!
婆:まあまあ。
子:何で逃げ切りをはかるんだ!
婆:名前を言うとか野暮だから、それが田舎の作法だから。
子:そんなもん知らないよ! 僕はまだ子供だい!
婆:じゃあ交渉決裂だ、さようなら。
子:あっ! めっちゃ早足で逃げた!
  くそぅ、僕も靴を履いていれば……。
  本当に一体誰だったんだ……あっ、お母さん・お父さん、どうしたの?
  帰り早いね、お母さんとお父さんが
  『子供抜きの謎ホテルごっこ』と言う時は夜まで帰ってこないのに。
  あっ、忘れ物したんだぁ、やっぱりそうだ、
  棒状のマッサージ器持って行かなかったもんね、だから僕、
  その棒状のマッサージ器で消しゴム飛ばすところだったよ。
  そうそう、何か知らないおばあさんがキャベツ置いてって、
  何か約束していた? ……えっ、知らない?
  いやでもお母さんやお父さんに言えば分かるって……あっ、じゃあ、
  一旦玄関の外に置いておくのか、うん、それがいいと思う。

08