殴打と車窓

吐き気を催しながら、リングフィットアドベンチャーをしていた。
僕は自分が元気になるように思われたパターンに縋っていた。
もっとも、それが元気になるのか、自分を奮い立たせているのか、鞭を打っていたのか、定かではないが。

今思えば、当時もそれなりに、いわゆる健康法だとか、自己コントロールの情報を齧っていた。
現在と比較すれば、それは健康法の上っ面をなぞったぐらいで満足をしていて、実践するには手段よりも運転手の方に問題があるように思えたが。

ジム・レイヤーの「メンタルタフネス」を読み、どのようにしてストレスと多忙さに打ち克つのかを考えていた。
僕はメンタルタフネスにあったチェックリストを参照していた。
見事にストレス耐性が怪しいことがわかった。

じゃあ、そのコーピングをどうするのか。
僕は努力することと頑張ること、自分の良さを発揮することと自分を曝け出すこと、誠実なことと馬鹿正直なこと。
色々なことを混同していた。

つまるところ、僕は生きる意味みたいなものを求めていた。
つまり、これが正解だと、言えるような正しいことを求めていた。

しかしまあ、もうどうにもならないことで、もう疲れたのだ。
もういいよ。

春の匂いが顔を出してきた。
匂いは人に何かを思い出させるには十分すぎるらしい。

焦燥感、不安、取り止めもない思考、息切れする体。
暖かくなれば、何か起こるさ。
今まで悩まされていた日照時間の少なさから出る抑うつ感は、どうやら対策できるらしい。
春、新学期、変わり目。卒業式。
俺はこんなところで何やってんだ。

何をどうすればいいのかわからず。
とにかく、元気になる。という言葉に引きずられ。

俺の本当にしたかったことは何なのかと、問いかけつつ。
気分が上がらず、明るく振る舞えず、距離は離れ、どうしようもならず。

籠る個室。取り留めない連想。自己暗示。
整わぬ自己。縋るものなし。

どうにもならない。

休む仕事。気になる仕事。
スマートフォンから目が離せず。
どうしたいのかわからず。
いとも簡単に翻る決心。

3月上旬。
自転車を漕ぐ。カラオケに行く。
帰り道。

たった数キロ。俺が本当はセッティングしたかった場所と時間。
そこに俺はいられず、いつの間にか過ぎ去っていく。
心と体が遠すぎる。

3月下旬。
不明瞭な判断。為されるがまま流され。それを望み。
セッティングされた挨拶。
俺は何を話せばいい?

拒む気持ち。癖になる殴打。
どうにもならず。

緩やかに進むバイパス。
緩やかに進むバイパス。

どうすればいい。
近づく距離。たった数キロ。

自家用車の車窓。
見える見知った姿。
俺は何を話せばいい?
俺はどうしてこうなった。

逃げ込む自室。
動かない体。
動かないのは体なのか、俺の気持ちなのか。
固まる体。また繰り返している。なんと情けない。

車に揺られ。戻れぬことも自分で言えず。
為すがままに揺られ。そこから先はもう覚えていない。

こんなことをして一体何になるんだ。
本当に全てはどうでもよくなるのだろうか。
だとしても、書かずにはいられない。

そうしないと、俺はまたその内、どこかで間違える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?