全部超えたくね?

女だというだけでなぜ消費されなければならないのだろう。
暖かくなるとどうしても露出は多くなる。今日私はタイトなTシャツにミニスカート、荷物が多いのが嫌なのでサコッシュを斜めがけにしていた。夫と帰りの地下鉄に乗っている間、目の前に座っている男性の視線が自分の胸元に集中していた。何度か睨みつけたがその視線は逸らされることなく気分が悪くなった私は急いで離れた席に座った。

見られるような格好をするからいけないとよく聞く。それなら私は自分の好き、可愛いを諦めて、サラシでも巻いて囚人服を着て生きていけと言うのか。
私の可愛いは、ファッションや容姿へのこだわりは他者のためではない。自分で自分を褒めてあげるために、また心がどうしようもなくても自分の「好き」、「可愛い」を纏って武装するためである。
自分のためだけの「可愛い」を追求すると自然に、服よりも下着やルームウェアを可愛いものにして自分を満足させるようになった。
それでも私は好きな服を着たい。好きな化粧をしたい。髪色を変えるだけで周りの人間の態度は驚くほど変わる。金髪にすると周囲からぞんざいに扱われる。想像以上に。それでも自分の思うままの姿でありたい。

先日行った居酒屋は、お手洗いが男性用と男女共用の二つがあった。男女共用のお手洗いにごく自然と、生理用品が置いてあった。女性用のお手洗いだと珍しいものではないが男女共用のお手洗いにそれらが置いてあるのを私は初めて見た。そうだ、私はこういう世界にいたい。こういう世界を作りたいんだ、と思った。その店は曜日ごとにサービスをしていて、女子会プランなるものもあったが、最近よくある差別じみた女性優遇感がなく、嫌味の感じないものだった。店内で働く女の子たちがみんな楽しそうだったのも起因しているかもしれない。
コンビニやドラッグストアで生理用品等を買うときに色付きの袋に入れられるのが私はいつも嫌で、そのままで大丈夫ですと断る。何も私は恥ずかしいことなどしていない。世の中は散々男女差別だの何だの言っているのにまだこんなことが続いているのが私は恥ずかしい。

差別、ジェンダー、全てを超越した世界で私は「女の子」を肯定したい。幼少期から私の原動力はいつも女の子だった。アイドルに会いに行くために働いた。毎日のように収集している美容の情報や技能で友人たちを可愛くして喜んでくれることが何より幸せな行為だ。

9割の女の子は毎朝自分の容姿にうんざりしたり、前髪が気に入らなくて一日中集中できなかったり、しているんだと思う。それは彼女たちが色んな視線を感じてきたからではないだろうか。「お前なんか劣化したよね」、「ちょっと太った?」、「その服変だね」。これらは私が実際に今まで何度も言われてきた言葉である。ブスだと言われ続けたら本当にブスになる。褒めたりしなくていいから、あなたたちのための私じゃないから、何も言わないで。ずっとそう思ってきた。

差別とかジェンダーとかハラスメントとか、正直クッソどうでもいい。好きでいられる、可愛がれる自分でいないと、始まれない。
そんなの全部置いていって全員幸せにしてやんよって気持ち。以上。

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