篠弘の社会詠
篠弘さんが2022年12月12日に亡くなられた。
「歌壇」2021年4月号で、『戦争と歌人たち』という篠さんの著作についてインタビューしたのは、貴重な経験だった。そのときはまだお元気で、しみじみと心に残るお話をお聞きすることができた。前衛短歌の時代のことなどを、もっと語っていただきたいと思っていたのだが、こんなに急に亡くなられてしまうとは、ほんとうに寂しく、残念でたまらない。ご冥福をお祈りいたします。
「短歌往来」2017年11月号に執筆した「篠弘の社会詠」という文章をアップします。少し長いですが、お読みくだされば幸いです。
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篠弘の社会詠
ふとしたきっかけで『松川歌集』(新日本歌人協会)という本を入手した。昭和二十九年に刊行されたものだが、数年前に復刻されている。
昭和二十四年八月、福島県の松川駅の近くで、脱線事故が起き、乗務員三名が死亡した。線路を破壊した疑いで、共産党員や国鉄の労働組合員ら二十人が逮捕され、五人に死刑判決が下された(一審)。これが松川事件である。この事件の捜査にはさまざまな疑問点があり、昭和三十六年の差し戻し審では被告全員が無罪となった。事件が起きたのは、中国共産党が中華人民共和国を建国する直前である。共産主義に対する警戒が非常に強まっていた時期であり、アメリカを背後にした謀略だったのではないか、という説もある(松本清張『日本の黒い霧』)。
『松川歌集』には、被告だった人たちの歌や、冤罪に怒りを感じた歌人たちの歌が収録されている。その中には、岩田正、来嶋靖生、近藤芳美、前田透などの名が見える。そして、まだ二十歳くらいであった篠弘も参加しているのである。
直(なほ)きものの有罪判決を聞きいつつさびしくなりて手を握りあう
「松川の屈辱」
いち早く抽出(ひきだし)より新聞を摑み出し耐えきれぬ声を君にも放つ
屈辱に堪え堪えて来し被告らの声清(きよ)らなるをむしろかなしむ
暴徒とも呼ばれいる被告の清純さつかれし時に心を占(し)むる
*表記は原文ママ
十首のうち、四首を引いた。「ひたすらに政府をまもる判決か証拠不十分証拠不十分!」など、さらに怒りが激しく歌われているものもあるのだが、純粋な正義感や、若い被告人たちへの共感、無力であることの悲しみが、せつせつと伝わってくる。判決をともに聞いている「君」の存在が、悔しさや痛みをさらに深いものにしている。
篠弘の第一歌集『昨日の絵』は、昭和五十九年にようやく刊行された。篠はこのとき五十歳を超しており、初期作品のかなりの数が未収録になっているようだ。松川事件の歌も載せられていない。あまり人の目に触れることのないこれらの歌は、篠弘の出発点を知る上で貴重であろう。現在の篠は評論家としてのイメージが強いが、状況に参加し、行動する文学者の側面が見えてくる。
もちろん『昨日の絵』にも、学生運動の中で苦悩する青年の姿はいきいきと描かれている。「早大事件」という一連を見てみよう。
警棒の雨をのがれて湧くなみだ無意識のうちに頭撫でゐる
暴力に抵抗せよとさけぶ声離列せしわれを追ひ駈けてくる
つぎつぎに友消えゆけり捕はれし友らのあとを歩みゆく闇
暴徒とも呼ばれたるわが夏は過ぎ尾行を避けてあてどもなしも
泥酔のわれ殉(したが)はむたたかひに死にいそぎたる世代が羨し
警察の暴力から逃げてしまったことへの後ろめたさや恥の意識が、隠さずに歌われていて、読者に強く迫ってくる。四首目の「暴徒とも呼ばれたる」という表現に注目したい。これは松川事件を詠んだ歌にあった「暴徒とも呼ばれいる被告」と相似している。権力に抵抗しても「暴徒」と見なされてしまう社会の無理解。それに対する失望が、ここにあるだろう。
「少年の足すくませて近ぢかと屍(し)はありしなり火のされかうべ」(『昨日の絵』)など、篠の原点には、空襲で無差別に殺されていく戦争への恐怖がある。「戦ひの武器増えゆくを平和とすかかる平和のきりぎしが見ゆ」(同)と歌われているように、日本は一見平和のようだが、米ソの冷戦がはじまり、核兵器を含めた軍拡は果てしなく続いている。そのことに篠はおびえる。しかし個人の力は弱く、強大な権力の前では、身体をかばって逃げまどうしかない。
五首目はやや解釈に迷うが、篠より少し上の世代――つまり兵として戦った世代をうらやむ気持ちが歌われている。屈折した心境だが、何が正義か分からない時代に、無力なままで生きることの虚しさが表現されていると言っていいだろう。
こうした鬱屈を経験したのち、篠弘は出版社に入社する。年譜によれば「出版労協の中央執行委員として、安保闘争のデモを指揮」したということで、社会人という立場で、再度、権力と対峙したのであった。
思ひ詰めし眼をもつ少女隅にゐてオルグ支援のわれは立ちをり
『昨日の絵』
その朝の道を潔める学生ら霧けぶるなか痛いたしきまで
デモをドキュメント的に詠んだ歌も多いが、その中で私はこうした歌が印象的だった。純粋な若い世代とは違い、安保闘争を冷静に見つめる視線も、篠は持ちはじめている。だから、真っ先に傷ついてしまう若者たちをいたわる。学生を「痛いたしきまで」と歌うことによって、学生のころの自分を、外側から見つめるまなざしが生まれているのである。そして、こうした作品を最後に、直接的な政治行動の歌は表面にはあらわれなくなる。
昏れがたの旧き市街をさまよへば外壁は弾(たま)の痕をとどめつ
『百科全書派』
幾百の戦車が下を過ぎゆきしや最上階のバーにわが酔ふ
イスラムの虚しかりにし拙戦に発掘調査はなべて跡絶えつ
『濃密な都市』
人口の一パーセントを喪ひてともに「敗者」となりし戦争
足もとに花束はなし手を伸ぶるレーニンの像いつまでを立つ
『至福の旅びと』
エリツィンを推さむと広場に叫ぶデモこの国のひと隊列このむ
百科事典の編集者となった篠弘は、海外を訪れることが増え、広い視野から世界を見ようとする歌が生まれてくる。一、二首目はフランクフルトを旅した折の作。ナチスが起こした戦争の跡をたどっている。昭和五十年代の作で、当時はまだ海外を旅して歌を詠む歌人は少なかったはずである。「大戦はヒトラー一人のたたかひかともに敗れし少年も老ゆ」(『百科全書派』)という歌もある。篠自身も少年期に敗戦を経験している。実際に赴くことで、ヨーロッパでも普通の人々が戦争に巻き込まれ、自分と同じような悲しみを抱いていることを知ったのだった。
また三、四首目はイラン・イラク戦争を詠んだ歌。百科事典の仕事の中で、篠は古代オリエントの美術に心を魅かれていく。戦争によって美術品が破壊されてゆくことを悲しみ、「鬩(せめ)ぎあひコントロールし停戦による大いなる「勝者」は米ソ」(『濃密な都市』)と、背後にある大国の意図に思いを巡らすのである。中東を詠んだ歌の中では、湾岸戦争を詠んだ、
ダーランに空輸されたる十万の屍体袋の量(かさ)をおもひつ
『至福の旅びと』
が忘れがたい印象を残す(ダーランはサウジアラビアの地名)。テレビでさまざまな映像があふれることになった湾岸戦争であるが、その裏側では、おびただしい人間の命が失われていた。それを「十万の屍体袋」という手ざわりのある物を通して表現することで、戦争の悲惨さがじわじわと迫ってくるのである。
五、六首目は、ソ連崩壊の時期に旅したときの「白夜のペテルブルク」から引いた。その場に居なければ分からない荒廃した空気が捉えられていて、興味深い連作となっている。美術品の写真の掲載料が値上げされるなど、国家の崩壊が、さまざまな人々の生活に影響を及ぼしていくことを、篠は細かく描写している。「カード截る手つきに娼婦の白き指ヤポンスキーの名刺をならぶ」(『至福の旅びと』)など、さりげない作であるが、鋭く厳しい視線が感じられる。「ヤポンスキー」は日本人という意味で、外貨を稼ぐために売春が行われているわけである。
若い日の篠は、松川事件の共産党員の被告への共鳴を隠さなかった。思想を信じる純粋さに、心を打たれていたのである。しかし、共産主義の腐敗も、現実を知るにつれて、しだいに見えてくる。そのとき私たちはどうすればいいのか。現実を追認するという、ニヒリズムや傍観主義に陥るしかないのだろうか。
だが篠は、戦前の短歌の研究を重ねることにより、歌人たちが時代に流されて戦争を肯定していった姿を明らかにした。現実の追認では、個としての表現が守れなくなることを、篠はよく知っていた。
私は次のような作品に、篠の独自の工夫や苦闘を感じるのである。
雪ひかる河岸(かし)に難民の子ら走る女男(めを)見分けえぬさまに着脹る
『至福の旅びと』
凍てやすきソウルの雪ぞこの国の幼児とともに橇もて滑る
デモ終へて来たりしものも混じりゐむ地下の書店を覆ふ体臭
簡潔につたふる若き通訳のことばは何を省きたりしか
海賊版出しし疼(いた)みを嘆かひてそれよりひとは日本語交はす
おそらくは驕りとぞみむ酔ふほどに韓国ことばわが弄(あそ)びしは
「雪のソウル」という連作から。韓国に対して、戦争を知る世代は、深い負い目を感じている。しかし、日本の本の海賊版(おそらく漫画)を出していることに対しては、厳しく対処せねばならない。通訳は微妙なニュアンスを伝えてくれないし、交渉には不安が漂う。しかし、相手は海賊版を出したことを後悔し、やがて日本語も使いはじめる――それは日本に占領されていたころに覚えたものかもしれないが――。ただ、話し合いの結果、何とか心は通じ合えたのであろう。
交渉のあと、ほっとして、酒の席で韓国語について冗談を言ってしまったのだろうか。それを相手は気にしているのではないか、と最後の歌では自省している。仕事の成功の中にも一抹の苦みは残ったようだ。
引き締まった文体で、心理の襞を丁寧にとらえた一連である。一、三首目では、ソウルの不安定な政情も伝わるが、その中で「幼児とともに橇もて滑る」というのがほほえましい。未来を生きる世代への希望も、この歌には籠められているだろう。
国と国、思想と思想の対立があったとしても、その先端には、個人対個人の関係が存在する。人と人がぶつかり合う場で、どのように行動し、どのように言葉で表現すればいいのか。そのとき、〈他者〉を短歌でどのように歌うか、という問題もクローズアップされてくる。「雪のソウル」では、出版の仕事の一場面を切り取りながら、日本と韓国の関係という大きなテーマに広がっていく。中国を訪れた際の「北京の靄」(『至福の旅びと』)もそうだが、海外の旅で出会った他者を描くことで、現代の日本人の姿が照らし出される。
小さな〈私〉の体験していることが、時代あるいは歴史の中でどういう意味をもつのか。篠の歌には、つねにそれを問う視点が存在している。
篠弘は、これまで歌に詠まれてこなかった斬新な場面を連作で表現している。『緑の斜面』では、セクハラをした大学教員を解雇する場面、『東京人』では、共謀罪に反対する声明を日本ペンクラブで出した場面が歌われている。後者は別のところで取り上げたので(「現代短歌」六月号参照)、前者を紹介したい。
組みをりし足を直せり詰問にはひらむとして踏み締むる床
「夏の終末」
泥酔しそれより記憶なしと言ふ問ひゆく側の羞恥を思へ
夕立につくつくぼふし啼きつづく教師らは教師を裁き得ずして
をとめごを曝しものにはしたくなしゼミの教授を退(しりぞ)かしめむ
「丘のなだり」
退任をうながすといふ提言をあやぶむひとらは訴訟を虞(おそ)る
セクハラを裁くということは、非常に歌いにくいテーマである。二首目に「問ひゆく側の羞恥を思へ」とあるが、スキャンダラスな好奇を誘うものになりかねない。四首目のように、かえって被害者の女性を傷つける可能性もある。そして、周囲の人々は見て見ぬふりをしたり、あやふやに終わらせようとしたりする。その中で、正義をどう貫くか。重い一連となっている。
この連作は、やや状況説明的になっているところもある。しかし、これらの歌は二〇〇三年が初出だが、その時点でテーマの現代性や重大性をつかんでいたことは、特筆すべきだろう(最近でも、伊藤詩織さんが会見して被害を訴えたのは、非常に心の痛む出来事だった)。
そして、一首目の「組みをりし足を直せり」のように、状況の中での自分の身体を、篠は丁寧に歌っている。これは、大きな歴史の流れの中でも、それに参加するのは、身体をもつ一人の人間なのだ、という信念のあらわれである。身体の弱さや脆さを、戦争やデモを通して、篠はよく知っている。しかし、その無力な身体から生まれる言葉でなければ、変転する時代の中で、自己を貫くことはできないのだ。篠は、それを粘り強く、歌と評論の両面から訴えてきたように思える。
篠弘の歌は、戦争の可能性が再び高まってきた現在、さらに重い存在感をもっているのではないか。
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