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祖母のご報告

2月23日に祖母が93で他界しました。
河津桜や梅の咲く青空の葬儀で、祖父と同じ2月となりました。
前に祖母と西行の句の話をしたな。


最期の日までnoteに投稿した祖父母のエッセイや皆様から頂いたお言葉を読み
ほとんど反応のできなくなった祖母がそれでも涙を浮かべたり微かに微笑んだりして、本当にとても救われました。

祖母の人生を意味あるものにする手助けをして下さって有難うございました。

それをお伝えしたくて更新しました。


延命措置などは取らなかったので、寝たきりとはいえたくさんの管に繋がれるような事もなく
馴染んだ施設で家族と共に最期の日を迎えることができて、良かった。

本当の最期の時は家族どころか看護師もいなくて自分ひとりだったけど
実家に響いていたSLの汽笛や、祖母が文に残した鶯の鳴き声、祖父が遺した手記にあった歌などをYouTubeで流して聞かせた後だったし

弱く脈の残るうちに、会えず仕舞いとなった叔母に通話を繋げてスピーカーで声を聞かせられた。
最期に一緒にいさせてもらえて幸運だったんだと思う。

看取ることの出来なかった祖父のことを思うと本当にやりきれなくなるけどね


施設のスタッフさんも温かい方が多く
祖母に挨拶をして帰る方もいらっしゃって、たくさんの方が心あるお言葉を掛けてくださり
施設長さんは代表してお通夜にも来てくださって。

施設の方が家族にはできなかったたくさんの事をしてくださったお陰で、祖母と良好な関係で最期を迎える事ができたと思う。

遺族の悔いにならないよう慮るたくさんの言葉を選んでくださり心から感謝してます。

スタッフさんたちに可愛い、いなくなってしまって寂しいと言って貰えるような祖母の人柄と
忙しい日々の中でそう言ってくださったスタッフさん達を尊敬します。



余談だけど訃報を知った祖父母宅の隣の家の方から電話があり
2、3日ほど前に、曲がった腰が綺麗に治って元気になった祖母が、もう良くなったのだと嬉しそうに夢に出てきたそうだ。
祖父の時も夢に出てきたと。

祖父は他界する日に施設のスタッフさん達に挨拶して回ったのだと聞いている。


先月、私はもう死んでしまいそうだと言った祖母の言葉もあったけれど
老衰では特に本人も周りも死期を悟る方が多いんだろう。
祖父は事情が違ったかもしれないけど。

祖母の亡くなる日に挨拶して下さったスタッフさん達の姿に、ほとんど確信的に今夜が最期だろうと自分も悟ることが出来た。
それを伝えるためのご配慮だったかな。


帰りに立ち寄った祖父母の家は荒れ果てて見る影もなく
家周りの畑や花の多い庭の手入れがいかに成されていたか改めて目の当たりにした。

記憶の全ては過去にしかないことだけれど
祖母までいなくなると、祖父ともまだ繋がっていたような拠り所の喪失感があって、人生でいちばん寂しい。

うちは割と機能不全だから、祖父母の記憶が普通の人の言う家族の記憶という感じ。
それがあるだけ恵まれてるけど。

骨や抜け殻の顔なんかはあまり見ない方がいいな。元気な時の顔だけ憶えていたいのに。

半端なままで終わってしまった一眼のカメラだったけど
生前の二人のかわいい姿を撮り遺しておけたので充分な価値があった。

祖父の時も今回の祖母も、笑顔の遺影や飾った写真に喜んで下さる方も多くて
祖母の棺に祖父の笑顔を添えることもできた。
やっぱり残したい時の写真は撮っておくものだね。



これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!