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2000-2005年就活を思い出す

私は大卒としては2005年卒だ。
2000年卒の谷を後ろから追っかけさせてもらっていたり、2002年卒の諸先輩との交流があったり、2001年、2003年で社会人としては業種や所属を変えたり、多くの大人の善意であったりと、とかく学習させてもらいながら就活ができた、環境に恵まれた側の氷河期後期世代である。

一方で、2000年高卒で首都圏で働いていた、氷河期の谷の渦中をもがく現場とともにいた当事者でもあった。
今以上に視座も低く未熟だったが、だからこそ金銭収入面において切実な当事者だった。墓まで持っていく系が今今一番多いのは2000〜2004年で、今のところそれを更新するネタは発生していない。

この時点で自分のナチュラルな交友範囲の幅が、首都圏だけでなかったこと、高卒就職組もいたこと、大卒院卒組とも関わる機会があったことが、私の場合は幸いだった。

幸いにして高卒で働く先が見つけられた私はそのまま勤務し続ける選択肢もあった。
社会人大学生でもあり、自分が望み腹を括れば修士進学も選択肢にはなり得た。

その中でそれでも「大学新卒」の札を試そうとし、実際にその札で就職した。

それは、「新卒」の札が、特にコネもなく、大衆的で飛び抜けた優秀さやウリや熱意が確認できていなかった自分にとっては、現実的だと思ったからだ。

新卒採用の特殊性、異常性が、もっと流動的にできたらいい。
50歳からだって60歳からだって、トライできたらいい。
そう、2000年から、思い続けていることを思い出した。

「たかだか1年2年」で新卒札の就活難易度が変わった時代。自分以上に、自分の大切な人たちの、見たくない姿を見た時代が、私にとっての2000年代だった。
自死で見送りたくなかった方を見送るたびに、悔しさと虚しさがあったはずなのに、そこに少しずつ鈍くなっていく自分にうんざりしていたあの時代。好きな人たちの身に起きているパワハラ、セクハラ、鬱を、あるある、で流していたあの時代。

あの時、少しでも視座をあげられていたら、できたことがあったかもしれない。けれど、それはたらればの話。

一方で、自分は4大新卒の札を使って、一応製造、流通、金融の一般の就活もしたしエントリーシート50枚は手書きするくらいのこともした。業界研究も今よりまだまだ非効率で足で稼ぐしか無かったし、インターンシップもすくなかったけれど、「新卒採用」を経験できたことは今振り返ってもよかったなと思っている。虚しさもしんどさももちろんあったけれど。
メーカー系などで男女差を改めて感じたのも、私はこの時期だった。こと修士は、所属研究室関係での就職は困らない環境だったけれど、「研究室」の枠から外れて行った先は同じ会社や部署でも異世界だったこと少なくはなかった。

そういうものに触れさせてもらったあの時期が、少しばかり懐かしいし、結構苦い。

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