学校という違和感

私がはじめて教師という人を疑ったのは、高校受験のときでした。
絶対に受からない、落ちるよ、と言い切られての受験でしたが、成績はそこそこ上位で合格しました。

そのときに、先生のいうことって絶対じゃないんだなって初めて思いました。もしかすると遅かったのかもしれないけど、それまではどんな体罰を受けても理不尽なことを言われても、先生に対してあるがままを受け入れる、疑う余地もないある意味純粋な子供だったのかもしれません。(体罰については時代的に当たり前だったこともあり)

けれど、その経験をもとに「立派なように見える大人だって完璧じゃないんだ、間違ったことも言う」とわかり、良くも悪くも人を疑ってみることを学んだ気がします。

そして、私も大人になってしばらく経ち、今年から高校生になる娘がいますが、中学校にあがってからいくつも学校に対して疑問を感じることがありました。

娘が中学校に入学してまずびっくりしたのが、「三つ編み禁止」でした。三つ編みといえば真面目な髪型の代名詞のようなものだしなぜ?と純粋な疑問を感じたので、娘に、担任の先生になんでか聞いてみてくれない?とお願いしました。その夜、娘から答えを聞いてびっくり!

「ダメなもんはダメやねん」
でした。

めちゃめちゃ腹がたちました。
なぜか?と聞いてるのに理由を調べる努力もせず、娘に対し子供だましの返答で適当にあしらった気がしたからです。ほかの生徒にも同じようにしてるんだろうか、この先生のもとで何が学べるんだろうか?不安になりました。

ちゃんと答えてくれなかったことにただ腹がたったわけではありません。中学生はまだまだわからないことだらけです。大人にとっては当たり前のことのように思う質問もたくさんするかもしれない。でも、それを一緒に考えるのが教師なのでは?わからないならそれを調べる方法を教えることも教育になると自分は思っています。そういうことを放棄してるんだとしたら、この担任の先生は信頼できないなと思いました。

その数日後、家庭訪問がありました。
そのときに直接先生にお聞きしてみました。別に三つ編みがしたいからさせろとかじゃないんです、なぜ禁止なのか納得する理由を知りたいだけなんです、と。もしかすると、そんなことこだわるなんておかしいんじゃないか?と思う人もいるかもしれませんが、本当に純粋に疑問が膨らんでいたのです。

けっきょく、担任はなぜか知りませんでした。
禁止ときまってるけどなぜか考えたことがなかったのでわかりかねる。また学年主任から連絡させます、と。ああ、もしかして私めんどくさい保護者認定されたのかもしれない、と思いました。別にそれでもいいと思いましたが、娘は隣であきれていました。

娘はわたしとは正反対で「そんなの決まってるから仕方ないやん!」って言えてしまいます。じゃあ人を殺してもいいって決まってたら殺すの?それって思考停止っていうんやで!とかるく親子げんかしつつ。

はい、めんどくさい性格なのは自覚しています。
こんな自分が嫌だと思うときもありますが仕方ない、これが私だから(・・;)

数日後、学年主任の先生からお電話がありました。
先生はめんどくさい相手をなだめるような優しい口調で「おかあさん、あのですね、」と理由を説明してくださいました。かつて、三つ編みは禁止ではなかったが、とある学年で編み込みをして目立つ髪型にセットして登校してくる生徒がいたそうです。それを咎めると、三つ編みでアレンジをしてきたから、編み込みはもちろん三つ編み、それ以外も目立つ髪型は一切禁止ということになったそうです。現在は肩につく長さになると髪を束ねないといけません。そこそこ厳し目ですね。

まあ、なんやねんそれ、とは正直思いましたが禁止になった経緯がわかってスッキリしました。再度、先生には別に三つ編みをさせたいわけじゃないし娘がなにかいったわけじゃなくて私が気になっただけです、とお伝えして、だけど生徒がなにか質問をしたら「ダメだからダメ」っていう子供だましの対応はしないでほしい、とも言いました。

先生によると、ここ数年の生徒たちは真面目で校則を破る様子もないからこういうのはそろそろなくしてもいいかなと思っているところです、と言われましたが3年経って現在もとくに変わってはないですw

娘に経緯を伝えると「どんな髪型してきたんやろ」って新たな疑問が生じてましたが(^o^;)

その後も、体育祭では自分のチームを応援する場合立ち上がってはいけない、座って静かに応援する、とか、不思議なルールがたくさんありました。軍隊やん!って娘にいうと、「軍隊やで、みんなそういってる」と。「でも中学校の間だけやしみんな馬鹿にしながら適当に合わせてる」って。わたしより生徒たちのほうが大人やん。でも、そんな軍隊みたいな学校のほうが教育委員会では評価されるようです。

そんな「学校嫌い」のわたしですが、先日おもしろい本をツイッターで見かけて購入しました。東京都千代田区麹町中学校長の工藤勇一さんの著書「学校の当たり前をやめた。」です。

麹町中学校は、公立中学校でありながら、宿題、クラス担任、中間期末テストを廃止するという前代未聞の改革をされてて、この著書もかなり読まれているそうです。

何も考えずに「当たり前」ばかりをやっている学校教育が、
自分の頭で考えずになんでも人のせいにする大人をつくる。

たしかに、なんかすぐ人のせいにする、社会のせいにする、時代のせいにしてる人を見かけるたびに、違和感を感じます。本はまだ読みかけなんですけど「手段と目的をはきちがえない」とか仕事に通じるとこもたくさんありそうで楽しみにしています。

そんな私ですが好きだった先生、いい出会いだったと思える先生も数名いらっしゃいます。いじめられてたときにクラスで話をしてくれた小学校のN先生、中2のときこっそりマライアキャリーのCDを貸してくれた英語の先生、厳しかったし賛否もあったけどしんどいときに踏ん張って乗り越えることを教えてくださったバレーボール部の顧問のT先生、かっこよくて優しくていい意味で友達感覚で接してくださったO先生…

大人になった今でも節々で先生方のことを思い出すことがあります。そのたびに教師ってすごい職業だなあと感じます。良くも悪くもずっと生徒の記憶に残り続けるすごい仕事なんだなって。

大人だからって完璧じゃありません。
知らないことだらけで当たり前です。
しらないことは恥ずかしいことじゃない。
自分より若い人や子供が自分の知らないことを知ってるなんていくらでもあります。

それでも子供より生きてる年数が多い大人ができることは、分からない、知らないことを恥じるのではなく一緒になって考えてみること、それから子供を子供扱いしすぎず彼らのまだ未熟かもしれないけど、それなりに一生懸命考えているであろう意見や考えを聞いてみること。
意外と新鮮で面白い視点があって参考になることもたくさんありますよね。

教師への負担が問題になって久しいですが現場はまだまだ厳しいという声もききます。志高い先生が教師という素晴らしい仕事をのびのび取り組めるように、教育現場の見直し、改革がもっと進んでほしいです。

ちなみに娘には「ママ、いちいち学校に電話せんといてな、そんなん気にしてるのママだけやで!」としっっかりめんどいおかん扱いされてます。

おわり。





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