「ここは、おしまいの地」を読んで
表紙の写真が素敵だと思った。昔やっていた鈴木保奈美と三上博主演、野島伸司監督の激暗なドラマ「この世のはて」というドラマを連想した。
♪Oh,my little girl 温めてあげよう、Oh,my little girl こんなにも愛してる♪
という尾崎豊のBGMが、頭の中でしばらく止まらなくなる。
本の内容とは全く関係ない。。
育った環境、家族、学生時代、病気、住居など20のエッセイが掲載されている。1つの話は短くてちょっとした空き時間にも読みやすい。
キャラの尖った家族、とてつもない田舎という環境、気の許せる友達もいない、教師になるも学級崩壊で退職、病気、ありえない不運に遭遇すること多し、内向的で肝心な一言が言えない性格etc....
ないないづくしなのに、このエッセイは悲壮感がなかった。むしろ、気づくと声を出して笑っていた。
やばい出来事に遭遇したときの思考の持っていき方が際立っている。出来事は湿り気たっぷりなのに颯爽と進んでいく表現の転換で、カラリと乾燥させて笑いを起こす。
自分の首に入ったボルトを神聖な場所として表現する人がいるだろうか。痺れる。
Drと骨の話をしている診察室が、急に産婦人科の診察室に化けていく。。。痺れる。
どの話も結構な電流を流してくる。
この話の中で私の激押しは
アメリカさん
おじいちゃん
MVPは
妖怪「おすそ洗い」の話
です。
お気に入りは、生前認知症のおばあちゃんがとっておいた「いちごみるく」の飴紙を持ち帰りながら著者がつぶやくシーン。これがわかる人と友達になりたいと思った。
多くの人が持っているものが欠けていると不幸であるという集団意識の中で、本来の自分の質や本当の気持ちを見失い、欠け=不幸だと認識しがちな人は多い。私もそう。
筆者は、欠け=自分の装備と言う。ああ、いいなあ、と思う。
欠けがあるからこそ、見える心象風景があり辿り着く境地がある。
装備を持った人は、そのアイテムを持っていないと行く事のできない冒険と景色を手に入れることができると信じて生きてゆこうと思った。
でも装備が重く感じたら休も。。
明日も生きるぞ。