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俺はかつてマナー警察だった

「手マンして…」

当時付き合っていた彼女が発情しながら言ってきた。

ちょっと待ってほしい

いまブラウザバックを押そうとした諸君、これは決してエロい記事ではない。さらに言えば俺のリア充アピールでもない。もう少しだけお付き合い願いたい。

俺は色んな所でいろんな麻雀を打ってきた。信じられないマナ悪が許されていたり、変なルールがあったり環境によって様々な文化が存在している。しかし、その文化を普通じゃない、マナーが悪いと叩く人がいる。いわゆるマナー警察である。よく見るのが強打に対する指摘だ。
Mリーグが始まってまず叩かれたのが萩原聖人プロの強打だった。打牌選択ではなく強打が叩かれていた。強打なんてマナーが悪い!とTwitterのタイムラインで大量に見た。主に叩いていたのは大手のフリー雀荘に通ってる人たちとノーレート勢。場末雀荘に通っていたり、仲間内セットをしている人達はなんとも感じていなかった。むしろ、え?なんであの人達あんなに怒ってるの?という感じである。
人間は自分が所属している環境の常識が世間全体でも相違ないと思い込んでいる。だから、普段お行儀よく打っている人から見たら萩原聖人プロの打牌は強打でありマナーが悪いものに写るのだ。逆に俺のような場末育ちの人間には、マナー警察が言う強打がどれなのかさっぱりわからない。常識というものはとても曖昧でそして主観的なものなのである
かく言う俺も実は学生の時マナー警察だった。マナーよく打つのはカッコイイと思っていた。それは俺の師匠が強くてめちゃくちゃマナーが良かったからである(強打をせず、点棒のやりとりを丁寧にするなどをマナーが良いと定義)。しかし師匠にマナー良く打てと言われたからではない。マナー良く打つ師匠がカッコ良く見えてしまったからである。自分もこうあるべきだと思っていたし、マナー良く打てない人を見下していた。だから、勝負する牌を強打する人と対局したら、クソ雑魚認定して舐めきっていたし、大会でプロと当たった時に「イチサンニンロク」と申告されるとイラッとしていた。麻雀打ち全員はマナーよく打つべきだと思っていたし、俺の”マナー”が出来ていない人はみんなマナーが悪いと思っていた。それが当たり前だし世間の常識だと思っていた。
こんなマナー警察の俺が、自分の常識が他人の常識というのは間違いだと気付かされた出来事があったのだ。それが冒頭部分につながる。

発情した裸の彼女が放った一言
「手マンして…」
これをみんなはどう読んだだろうか?
てまんして
と読んだだろう。回文ではないぞ?
そう。実際に彼女も
「てまんして…」
と言ったのだ。普通の男子ならば喜んで手を伸ばすであろう。しかし俺はそれが何のことか分からなかったのである。ま◯こになにかするのは分かったが、何をすればいいか分からなかった。
ははwDTかよw
そんな声が聞こえてきそうだ。だが女性経験が多いわけではないがDTではない。というかその彼女ともすでに何度かやっている。ではなぜ、手マンが何のことか分からなかったのか?

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