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また、始めてみる。

もうずっと長いあいだ、自分自身が嫌になっていることのひとつに、"日記が続かない"というのがある。たくさんの日記アプリをダウンロードし、何度も心を入れ替えて書き始めてはみるが、結局は続かなくなり挫折してしまう。その繰り返しで書き始める時は「これが最後や」と何度も思う。しかし、その度に結局続かない。この状況に対して、何が原因なのか、どうすれば改善できるのかと頭を悩ませ続けている。というほどは考えてはいない。なんとなく始めて、なんとなく続かなくなる。

一方で、不思議なことに、今日もまたなんとなくこの手をmacのキーボードの上に置き、何かを書き始めようとしている。この不思議な矛盾したようなモチベーションは僕のどこから湧いてくるのか、自分でも半ば驚いているというか正直、呆れている。二度と書かなければいい、と簡単に考えれば、「続かへんなあ」といった軽めの挫折感に苛まれることもないはずである。

しかし、ひとつだけ言える事実がある。それは、僕は書く行為自体は好きなのである。文字を綴ることで、頭の中に漂う考えや感情が形になる瞬間に何か特別なものを感じているのだろうか、理由はよくわからないがとにかく好きなのである。

ならば、書く行為を妨げる可能性のあるものをできるだけ取っ払おうというのが、今回の皮算用であり目論見である。まず、他人の目は気にせず、自分自身のために書こう。仮に他人に見られることを気にするのであれば、そのプレッシャーが書くモチベーションを削ぐだけだ。次に文体や構成のだいたいはChatGPTに任せよう。
僕の作業は日常で感じたこと、体験したこと、または何か考えたことをできるだけ素直に、細かくそして率直に描写することにフォーカスしよう。なるべくシンプルで無償の書き方を通じて、自分自身を客観的に見つめ、考える機会にもなり得るだろう。

このスタイルで書くことの最大の良い点は、何かと忙しい日常生活の中で、自分自身の気持ちや考えに正直に向き合う瞬間を持つことができる点だ。そしてその過程で、気づかなかった自分自身の側面に気づくこともあるかもしれない。

なので、これからは"日記が続かない"と嫌悪する自分を少し許して、新たな形(いやこれは日記の持つ元々の意味のようにも思える)の日記作成に挑戦してみよう。そして、どのような景色を僕が見て、その時その過程で僕の心の中に何があるのか、どうしたいのかを見つめ直す。そして欲張りに言えば、新しい自分自身に出会う第一歩になるかもしれない。なんてね。

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