弁証法②

説明の仕方としての弁証法をひっくり返す人もいた。つまり、現実の世の中の進みかたが弁証法的であると発見したように言う人だ。ヘーゲルという人もそうだった。これは、こういうことだろう。世の中で生きている人は、少しづつずれながらも共通の概念を持っている。しかし、その概念自体が、現実の出来事をとらえようと人々がするごとにその差異がぶつかり合って新しい概念になって育ってゆく。そしてそれに沿って現実が違う局面をもって形成されてゆく。
ある意味当たり前のことなのであえてそれを言い張る必要はない。多少意味があるとしたら、今、ある現実に即応している概念を、あえて、それと粗飯することはどのようなことなのかを思考実験してみることで未来の変転のあり得る一つの形の素材が見いだせることもあるということであろうか。

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