デジタル時代はどのようにして新しい生産交換関係を生み出していくのか

例えば、自分の目的順位が決定している場合、どのような保険に入ったらいいのか答えは1つである。ところが、どのような保険があるのか、それぞれの優先順位ことに一つ一つの保険がどのような優位性を持っているのか、すべての情報を集めることができず、また、比較の仕方の複雑性で結局はある時点で妥協してしまう、すると、そもそも自分がこの保険に入っているのが最善なのかどうかもわからずその保険に入り続けると言うことになる。しかし、デジタル情報の高度化、AIの進化によってこのような本来ならば1つの解しかないものの正解に誰もが行き着くことが出来るような時代にまもなくなろうとしていると思われる。
そうすると資本主義と言う世界の形が変わっていくであろう。その途上で、本当の意味の規制改革がなされるであろう。
そのような変化改革は、現在で言えば、資本主義のシステムの中で生まれたスタートアップが主体となって、まずは、技術の論理性が変革の力となっていくであろう。あるいは、既存の企業大への技術力主体の集団の挑戦と言う形で推進されていくであろう。さらに、資本主義的倫理を前提とするのではない新しい世代の価値観がそれを後押ししていくであろう。そうなったとき、それは、私企業と言う形のままであるのだろうか、むしろ、それは神的な価値を進めるための動きとなっているのではないだろうか。
ただ、1つだけ注意しなければならないことがある。それは、冒頭に述べた「自分の目的順位が決定してる場合」と言うことである。広く人々に共有されている価値の中では、技術力のなさが1つの解を出さないと言う領域は、どんどんと置き換えられていくであろう。しかし、人々に共有されるようになるまで、様々な価値は、別のレイヤーの中での相克を経ていくわけである。それはイメージを伴った社会全般の発信と受信の中でなされていくものである。
仮に社会全体が1つの価値に集約していくと言う方向ではなく、どのような異なった価値も多元的に存続していくと言うモデルを考えたとき、そのような事は技術の自律的行動発展と両立し得るのであろうか。もし、価値の相違が空間の相違となっていく場合は、両立はできないであろう。しかし、価値の選び方によって生きていく中で付与される消費資源に大差ない形で生産交換関係が成立していくならば、広い意味で両立は可能であろう。
ここに置いて、改めて当たり前のことが確認されねばならないことがわかる。
生起してくるどのようなシステムも生きる中で消費する資源においての公平性が担保されねばならぬと言うことである。問題はそれがどのように調整されるかと言うことである。
直感的に言えば、当たり前の逆方向からの同語反復になるが社会のダイバーシティーが豊かであればあるほど担保されると言うことであろう。資本主義の移行期においてすべてはニーズによって決定されていくのであろうから。

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