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日本人が日本人ではなくなる危機感を感じています。

日本人(東洋人)は、社会の中に自分を見出す。
西洋人はまず個人ありきで、社会は個人の集合体と見る。

ざっくりすぎる説明ですが、日本人は違和感なく受け容れられると思います。

しかし、この文化的素養が足元から崩壊している現象をひしひしと感じてます。特に、2020年・2021年という今は顕著に感じます。

我々は呼吸について無自覚です。酸素を吸って・二酸化炭素を吐き出して。という行為を意識的に行っている人はいないでしょう。
同様に、自分たちの背景というか、基礎のようなものに、日本人的価値観がある事に意識的である人は非常に少ないです。

日本という国は非常に排他的なところがあり、他国の文化・影響を、自分たちの都合の良いところだけ取り入れるというフレキシブルさがありました。そこに言及している書籍も多いです。

しかし、世界はインターネットによって小さくなりました。zoomなどに代表されるオンラインミーティングの普及もかなり影響を与えているでしょう。アメリカ・ヨーロッパなどの個人主義の良い面ばかりを取り込もうとしてしまう。

特に、現在の社会から感じる閉塞感。(それはまぎれもなく、自己の閉塞感を投影しているだけなのですが)
その閉塞感を打破する魔法の一手だといわんばかりに飛びついてしまう。

果たして本当にそうなのでしょうか?
西洋文化をまるごと受け入れる事はどのようなメリットデメリットがあるのか?


そんな個人主義を推し進めていた国、アメリカでは過去に何が起こっていたのか?見てみましょう。

60年代のアメリカは、大きいことは良い事だ!という風潮があったそうです。大戦での勝利もあり、アメリカの国策に絶対的な信頼感を持っていた家庭が多い。
にもかかわらず、家庭内はバラバラ。コミュニケーションが無かったり、両親の離婚率が増加したりと、建前としては確固たる価値観があるように見えながら、日常生活から感じる幸福感は矛盾に満ちたものだった。

これは、自我をベースにして、自我を満たすこと・豊かになるということが全てだという価値観の限界が見えた。という事だと思っています。

個人主義の徹底的な追求と家族システムというものが相容れない。

そして、この歪みは社会的弱者である若者に噴出します。
その若者が大人になり、さらにその子供が成人になりだした。というのが今(2021年)の時代のアメリカです。


おや?と思われた人もいるでしょう。

今の日本と酷似していると思いませんか?

特に、2021年の日本は狂っています。今はバブル経済よりも狂っている。資金調達はサインだけでできる世の中で、オカネが溢れるほど余っている。そのオカネに自己を明け渡し、オカネ=自我、となっている大人の多い事多い事。

徹底した個人主義にいきすぎている感じを受けます。そして、過度な個人主義は家族システムの崩壊を招く。

事実、子供や若者が何を考えているかわからない。という大人は多いでしょう。自我をベースにして、自我を満たすこと・豊かになるということが全てだという価値観の限界が見えた。これに他なりません。

あなたが世界そのものなんです。


個人主義は測定しやすい。という特徴があります。
例えば、年商・利益金額・納税額・資金残高・社員数・給料平均などなど。

以前の日本は、自分たちの文化や価値観をベースに、部分的に測定できる基準を取り入れていました。
そのため、測定できない部分、つまり文化・価値観を何よりも大切にしていたのです。

それは例示するなら
・目に見えない力が我々を守ってくれている
・山や川には神が宿っている
・祭り事を指揮する人は神から委任されているにすぎない
・目上の人を尊重する
・7代先の未来のために行動する
・自然からの恵みを分けていただく(取りすぎない)
・あきらめる

このような文化・価値観です。
これを否定して(無意識的に無視して)、個人主義を取り入れようとする。結果的に、日本人が日本人でなくなってしまう。
アメリカで起こった家庭崩壊が日本でも起こるのは自然の摂理です。

言わずもがなですが、私は個人主義を否定しているわけではありません。
良い部分だけを取り入れようと言っているのです。
しかし、現状の否定から何かを欲する人は、部分的に取り入れるというような身体的強さを失っている状態でしょう。良い部分だけを取り入れる・日本的文化・価値観を見直す、という為には、身体性の充実が何より大切だと感じています。


日本人としての魂の拠り所を守るために

やるべき事はたくさんあり、1人の力では達成できないとも感じており、それでいて急務だと思っています。


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