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柔らかく・しなやかで・降りてくる女性性リーダーシップ(前編)

目標を設定して必ず達成する
なにくそと負けん気を出してやり続ける
力・権力を手に入れて抵抗勢力をぶっ潰す
逃げずに闘い続ける
達成できないのは自分の努力が足りないから
全ては自分に責任がある
物事は明確にすればするほど良い

このような男性性を強調したリーダー像を、なんとなく日本人は持っていると思います。
目標設定・必ずやり遂げる・力(フォース)こそ全て・成長を重視する・責任を明確にする。というのが優れたリーダーシップなのだ。というものです。

官僚的ピラミッド組織や、親分の義理人情で動く組織、体育会系熱血トップダウン組織など、日本の企業のほぼ大半はこの力学に支配されています。
評価があがったり出生したりするには、このリーダー像に合致する行動を自分の持ち場で取る必要があるのです。
結果、仕事がつまらなくて辞めたり、辞めるに辞められずメンタルを壊したりという現象が起きています。

この例示したリーダー像は、あくまで手法の一つでしかないのに、狂信的なほど、盲目的なほど、全員がこのリーダー像を標榜します。なぜなのか全く分かりません。まるで、ボールを使った遊びといったらサッカーだけ!と言っているようなものです。バレーボール・バスケットボール・テニスなど、他の楽しみ方がありますよね?

宗教を毛嫌いする日本人が、リーダーシップ・経営論になると判を押したようにこの手法ばかりにこだわります。
なんか矛盾していませんか?

このリーダー像に引っ張られるように、成長しよう!という人はとても多いです。


ちょっと待って考えてほしい。

本当にそれで良いんだっけ?

成長したら幸せになれるの?
目標を設定してやりとげたら幸せになれるの?
辛くても諦めずにやり続けないと幸せになれないの?
力・権力が手に入らないと幸せになれないの?
全ては自分に責任があるの?本当?
物事は明確にしたほうが幸せになれるの?

なんか違和感感じませんか?


人間も自然の一部です。
しかしながら、大東亜戦争以後の日本人ときたら、工業化の歯車の中に自分たちを見出しました。

仕事を機能に分けて細分化しました。これにより、担当を割り振り、機能を高め続けたのです。その担当者が辞めても別の人間をその担当に割り振ります。まるで歯車を交換するかのように。
モジュールなんて言葉で仕事の機能を説明しているあたりが、かなりの領域まで工業化のイメージが浸透している証拠です。

我々って交換可能な歯車なんでしたっけ?
自分も唯一無二の個性を持つように、相手も唯一無二の個性があります。
それを同じような仕事に就かせる。
違和感あります。
先に仕事(機能)があって、後から人間を就かせる事に。

そうではなく、先に人間ありきですよね?
人間があって、こんな人生になるような気がしている、とか、このへんに興味あるからやってみたいんだ、みたいなイメージがあって、それを集合させた時に組織化されていた。という枠組みのほうが自然なのではないでしょうか?

自然を見渡すと、見事なまでにバラバラ。統一性はありません。
しかし、生命力というエネルギーに満ちています。
工業化社会にはエネルギーが削がれる構造しかありません。

リーダーシップを見直す必要があるのです。
しかも、根本的に。


じゃあどうするの?
長くなってきたので次回に続く

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