見出し画像

経営計画発表会は自我が暴走する危険性が大きいのでやり方を工夫したほうが良いでしょうね。というお話

経営計画発表会ってどう思いますか?という質問をいただいたので、今日は経営計画発表会について書こうと思っています。


経営計画発表会は、やり方次第で全然別の効果を出すイベントなので、まずは一旦、客観的視点で見ていただきたい。と思っています。

やり方2案を例示します。

第1案
当社社員のみならず、銀行や株主や取引先、仕入先までも呼んで、社長(もしくは経営陣)が壇上からパワーポイントなどで作成した資料を読み上げ展望を語るやり方。

第2案
誰でも(社内外問わず)自由参加とし、発表(事前準備を強制しない)もナラティブに行う。社長(もしくは経営陣)は発言控えめに傾聴する。

ちょっと極端に書きましたが、だいたいどちらかのパターンに分類できると思います。

これって、開催する目的が異なっているのは明白ですよね?


第1案は、社員・銀行・株主・取引先・仕入先と闘っているパラダイム。舐められないように理論武装するために、しっかりとパワーポイント等で資料を作成する。仕立ての良いスーツを着て壇上に上がる。そこは、自分が強いものであると誇示するためのステージです。

客席で聴いている人々に暗黙のメッセージを発信しています。
「お前らと違って俺は未来が見えているんだ。お前らと違って優秀な人間なんだ。」と……。


第2案は、自分と他人を統合していくパラダイム。もともとは一つだったと体感覚が覚えているので、他人の意見の中に宇宙を見出していく事を人生の目的としています。
多角的視点があることで複雑な生態系がうまれる。森が育っていく感覚で組織を見ています。

輪になって聴いている人々に暗黙のメッセージを発信しています。
「外側のガイドラインはここだよ。内側であなたをEnergizeするものを一緒に探していこうよ。」と……。



高度経済成長時代のように、同業他社と自社の商品サービスが類似しているような状況では、第1案のほうが効率的であったように思います。先見性のある数人が舵取りをし、残りのメンバーは必死でオールを漕ぐ。現代みたいに多様な価値観があった訳ではないので、行き先が明確でした。よって舵取りが容易。

しかし、平成に時代が変わったあたりから、価値観が多様化し、旧来の方法では通用しなくなりました。現代において第1案を実行するメリットは皆無と言って良いでしょう。むしろデメリットばかりです。
経営陣の自我(エゴ)が肥大化し、暴走します。

例えるなら、嫌な出来事があって気分が落ち込み、酒を浴びるように飲んで寝る。しかし、酒を飲んでも嫌な出来事自体は解決されていないので、翌日もその嫌な出来事に心が支配される。結果的に、さらに強い酒を飲んで寝る。この繰り返しでいずれ夜も寝られなくなる。

とこんな具合です。

人は移り変わるものだと、諸行無常であると分かっているのですが、何故か永遠を求めてしまう。

成長を望みつつも、刹那な今に固執してしまう。

変わりゆく季節を楽しみながら、一度覚えたやり方を固定化させようとする。

人間の営みとは何なのか?と考えてしまいますね。


個人的には、第2案のパラダイムに移行できると良いな〜なんて思っていますが、第1案でガツガツやる人がいるおかげで社会が豊かになっているのも事実。第1案でガツガツやる人は、いわゆる24時間闘えますか?みたいな仕事をしているので、大事な役割を担っています。お身体だけはどうかご自愛ください。


ちょっと極端でしたが、第1案・第2案と俯瞰して見ていただき、自分とつながるキッカケにしていただければ…と思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?