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人間は、過去の出来事に上書きを重ねていくものだ…自分にとって都合の良いように

先日、おかげさまで誕生日を迎えました。
44歳ともなると、欲しい物はなく(もともと物欲は無いほうだと自認しています)、食べたいものもなく、お酒も辞めたので、いつもと変わらない一日なのですが。

娘が私に
「今日は一日お父さんdayだね。お父さんの好きな事なんでも付き合ってあげるよ」
と言ってきたので、何も考えずに口から自然と
「あなたの喜んでいる顔を見るのが一番のプレゼントだよ。あなたがやりたい事・行きたいところに行こう」
と答えました。

娘は喜び半分、とまどい半分といったところです。
「私だけが楽しいんだけど、それで良いの?」
と。

娘のリクエストで、ツインリンクもてぎに行く事にしました。
私はサーキットが好きなので、舗装路面を見ているだけでニヤニヤしてしまいます。HONDA党のF1好きです。レースにおける闘争心とか人間ドラマが好きな人もいますが、私は物理が好きなので、物理法則をどう解釈してマシンを開発していくか?という、エンジニアリングが好きでレースを見ています。

ツインリンクもてぎには、親子で遊んでも充分楽しめるように遊園地ゾーンなども併設されています。
中でも、屋内施設(といっても扉は開け放たれ換気はバッチリです)である、ネットの森sumikaという施設が楽しい!

大人も本気になって遊べるほどの巨大遊具・アスレチック
かなり高さもあるので、全身の筋肉を使って上に登っていきます。
娘はこのアトラクションが大好きで、先月も遊びに来たのですが、また行きたい!と連呼していたのです。

他にも、人生で初めてバイクに乗れる体験や、教習所のように自動車の運転をミニュチュアの街で体験できるアトラクションもあります。オススメです。



娘が大興奮で走り回る姿をベンチで見ていて、ふと思いました。
同じような気持ちで、母から見守ってもらっていたのだろうか?と。

私と母の関係はあまり良好ではありませんでした。
細かく指図されるのが煩わしくて仕方ない。
100点以外生きる価値ナシ。というような勉強至上主義。

母が私に口出ししてくるのがいちいち癪に障ったのです。
いつか家を出てやる。こんな家に住んでいたくない。
そのように思っていたのです。
実際、逃げるように東京に出ました。


しかし…本当にそうなのだろうか?
母は、私が憎くて細かく指図していたのでしょうか?
母を思い出すと嫌な出来事ばかりが思い浮かびますが、楽しい思い出はひとつもないのでしょうか?

人間というのはとても不思議で、巧妙な自己防衛本能を備えています。
母とのあいだにも、とても温かい、優しい思い出はあります。
しかし、嫌な出来事ばかりが表面に来るように仕組みます。すると、母は悪人、私は悪人の仕打ちから耐えた善人。という単純な構図が出来上がるのです。
悪人の仕打ちから逃げるために家を出たのだ。悪人なのだから、介護などの面倒を見るなんてとんでもない。
というように、自己正当化がどんどん始まるようになります。

私は悪人なんていないと思っています。
同様に、善人もいないでしょう。
そこにいるのは一人の人間なのです。悪い事も良い事もします。一人の人間です。


最近、母との日々をよく思い出します。
一緒に伊豆に旅行に行った事・沖縄に行った事・北海道旅行をした事。
確かに細かい事を言う母でしたが、一緒にいて安らぐ瞬間が確かにありました。
奥底に封印していたかのような…温かい記憶。
この歳になって私は、ようやく取り戻す事ができました。

あの時の母は、テストの点数でガミガミ言っていた母は30代前半でした。
そりゃ仕方ないよね。


子供を見ていると、自分の子供の頃の記憶にアクセスできます。
そして、それが先祖代々受け継がれてきたような、見守ってくれていたという温かい気持ちとともに、自分自身の存在証明をより強固なものにしてくれます。
そう、私はここにいるのだ。自分自身の存在をはっきり認識できるのだ。

だからこそ、過去と未来・内側と外側をつなぐ事ができる。
すべては愛から始まっている。

そんなことを感じた44歳の誕生日でした。

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