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肉体的な脆弱・精神的な脆弱

世界的なウィルスのパンデミックに巻き込まれた我々人類。
ウィルスとの闘いだ!と揶揄する人もいれば、人類に対する天罰だと怖れる人もいる。

それより私を突き動かすものは好奇心だ。
もちろん、ウィルスが原因で亡くなった人に対しては哀しい気持ちでいっぱいだ。私自身も、20年以上の付き合いのある人が亡くなってしまい、喪失感と悲しみを感じている。
しかし、それよりも好奇心を感じずにはいられない。
なぜ、人は意味を問うのか?という事だ。

もちろん、人間というのは物語によって生きる推進力を得るものである。
現在起こっている戦争においても、遠い海外の地で戦争が起こっている、と聞く(動画がSNSなどで拡散される現代であっても)だけでは、イマイチ実感が湧かないだろう。
だが、勇敢な女性が自分の命を顧みずに戦車の前に飛び出した、という物語を聞くと、なんだか身体の奥が共鳴するような感覚を得られるだろう。
人間は物語を通して生を実感していくものなのだ。

ウィルス騒動や戦争などを見ると、極限状態における人間の心理を綴った本、Man’s Search for Meaning/Viktor Frankl著 邦題:夜と霧
を思い出す。
ドイツ語のタイトルがrotzdem Ja zum Leben sagen(それでも人生にイエスと言う)である通り、未来への想像の仕方が寿命に影響したというものだ。
以下本文より抜粋引用

ユーモアは自分を見失わないための魂の武器である

夜と霧

精神の自由
人間の自由はどこにあるのだ。たったひとつ、あたえられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

夜と霧

妻を愛している。妻がまだ生きているかどうかではないのだ。
愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在に深くかかわっている。妻の現在(ダーザイン)ではなく、本質(ゾーザイン)に深くかかわっている。

夜と霧

自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれる単なるモノと成り果て「典型的な」被収容者へと焼き直されるほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまづいて堕落に甘んじるか
あるいは拒否するか

夜と霧

かつてドストエフスキーはこう言った
「わたしが恐れるのはただ一つ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」

夜と霧

私達をとりまくこの全ての苦しみや死には意味があるのか?
もし無意味だったら収容所を生き凌ぐ事に意味はない。抜け出せるかどうかに意味がある生なら、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

夜と霧

人間の内面生活がいびつに歪むのは、精神的・人間的に脆弱な者だ。
脆弱な人間とは、内的なよりどころを持たない人間だ。収容所においては「無期限の暫定的存在」と定義される。
これは失業者などにも見られる
失業者の場合はありようが暫定的なので未来や目的を見据えて生きる事ができなくなる。
この歪んだ感覚が時間感覚に及ぼす影響を「内的時間」「経験的時間」と呼ぶ。この内面生活は未来の目的によりどころを持たないため、過去へと遡る退嬰的な傾向を持つ。加えて、不条理な現在にタカをくくれるという悪い作用がある。現実と向き合うキッカケを見失ってしまうのだ。

夜と霧

外面的困難を内面にとっての試練とするか
外面的困難を非本来的な何かなのだとタカをくくり、過去にしがみついて心を閉ざすか

夜と霧

生きる意味を問う
私達が生きる事に何を期待するのか?ではなく
生きる事が私達から何を期待しているのかが問題なのだ
私達自身が問いの前に立っているのだ

夜と霧

未来は未定なものだし
過去、あなたが経験した事は、この世のどんな力も奪えない
だから生きる事を意味で満たすのだ

夜と霧


ウィルス騒動において、免疫力を高めよう!とか、身体を鍛えよう!などという声はよく聞くだろう。
それは無論、とても良い事だ、人生の質を高めてくれる。
しかし、同時に精神的な鍛錬も必要であって、それを主張する人は少ない、というのが私の印象。

夜と霧は、精神的脆弱性とは何か?
精神的にタフであるにはどうすれば良いか?について示唆が多い。

他人に傷つけられて失望した
会社や社会に裏切られて喪失感を感じている

あなたの自我は、あなたの大切な宝物を傷つけられた事に対する報復として、世の中に対して期待しなかったり・世の中に闘いをしかけたりするだろう。
しかし、夜と霧が示すように、重要なのは未来に目的意識を持つ事なのだ。そのために、一番近くにいる人間である、自分をもう一度信頼してみるのだ。

自分に信頼を置かず、目的意識を打ち砕かれる事を怖れると、過去にしがみつくような傾向を取り始める。すると、現在起こっている不条理な現実と向き合えなくなってしまうのだ。「コレは災難だ」とタカをくくり、過去にしがみついて心を閉ざす。

そうではないのだ。
自分を抱きしめ、信頼するのだ。
あなたが経験してきた過去は誰にも奪えないし、あなたが愛した人はあなたが愛している限り永遠に生き続けるのだ。
監獄の中でも自由は間違いなく存在するし、この自由は誰にも奪えないのだ。

もう一度見つめ直してほしい。
あなた自身を
あなたの愛を、あなたの自由を、あなた自身への信頼を


不確実性の時代に確実な不変なものがある
それをしっかりと抱きしめて、混沌とした世界を陽気に、ユーモラスに生きていこうではないか

生きる事が私達から何を期待しているのか

それは私達が輝きながら、閃きをもっと生き続けていれば触れる事ができるだろう

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