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俺たち、できる子やで!_博論日記(2024/06/30)

今日は6月最終日、夏越の大祓の日だ。朝のバイトに行く時とバイトを終えて大学に行く時にはしとしとと雨が降っていたが、夕方、図書館から出てくる頃にはやんでいた。
むわっとした空気に包まれ、冷房で冷えた体もゆるみ、一瞬、吉田神社へ茅の輪をくぐりに行こうかと思った。けれど、約5時間パソコンに集中していたところから外に出て、湿度やら風やら学生さんのざわめきやらいろんな刺激に茫然としている。帰ることにした。
帰宅したら、母が水無月を作ったよとお膳に出してくれた。母は「前作った時の方が上手にできた」「もっと透明感がほしかった」とご不満なご様子だったが、おいしい季節の生菓子にかこつけてあと半年の無病息災を願うことができ、私としては大変ありがたきことだった。

投稿論文の修正の〆切が今日で、今週はそれに向けてかなり頑張った。まったく勉強できない週が3週間くらい続いたことを考えると嘘みたいだが、仕事が終わってから2時間ほど作業をすることができたし、土日は少なくとも5時間作業できた。
ただ、先行研究の渉猟に時間がかかって、どうしてもIntroductionの再構成が間に合わなかった。昨日の夜までは「無理矢理にでも出して区切りをつけてしまおうか」と思っていたけれど、今日のバイトが終わる頃には「さすがに共著の先生方の確認なしには出せない」と至極真っ当な思考回路になって、大学についてすぐ、〆切延長願のメールを書いた。
きっとこの作業ペースを続けられたら、7月末には確実に出せるはず。よしよし、私、できる子やで!

今日のタイトルの「俺たち、できる子やで!」という言葉には、鮮やかに記憶に刻み込まれた、あるエピソードがある。

高校時代、私は3年間クラス替えのないクラス(仮にA組としよう)に所属していた。秋の文化祭が盛り上がる高校で、A組もやはり最優秀賞を目指して熱心に取り組んでいた。1年生の種目は「仮装ダンス」。2年生の種目は「小劇場」。10クラスが各々に趣向を凝らす中、A組は幸運にも2年連続最優秀賞を取ることができた。
そして迎えた3年生。種目は「演劇」。部活をやっていた子達も夏の大会を終えてほとんどが引退し、もうあとは受験しか残っていないという早秋。A組は3年連続最優秀賞を目指して燃えていた。私は脚本担当で、いやほんといろんなことがあったのだが、長くなるのでそこは省略しよう。

演劇を上演する本番の日のことである。
舞台裏に入る前に、体育館横にクラス全員が集まった。詳しい流れは覚えていないが、とにかく円陣を組むことになった。その時、T君というサッカー部だった子がまわりの子たちに「お前声かけやれよ」と言われて放った一言が、

「俺たち、できる子やで!」

だった。にやけてたけど、すごく大きな声で力があった。私は反射的にみんなと声を合わせて

「おー!!」

と呼応していた。

「がんばるぞ!」とか「いくぞ!」とかじゃないんだと、新鮮な驚きを感じたことを覚えている。そして、普段自分に「できる子やで」と声をかける発想がまったくなかったので、その場の勢いながらも「おー!!」と肯定した自分に高揚した。なんだかできるような気がした。

演劇の結果は、優秀賞だった。上位2クラスは再演できる習わしで、最優秀賞は逃したけれどその枠に入れて本当に嬉しかった。あの時ほど、「よかった」「本当によかった」と嬉し涙したことはない。私のだいじな「うまくいったこと」の記憶である。

先日、職場の先輩と雑談をしていて、T君の声かけをしみじみ思い出した。スポーツ選手のメンタルの強さはどこからくるのか、みたいな話をしていたのだが、先輩はスポーツ推薦でボート部に来た同期が言っていたという言葉を教えてくれた。

「誰よりも頑張った、ということで培う自信は脆い。広い世界に出れば俺よりも頑張ってる人なんてごろごろいる。一番強いのは、根拠のない自信だ。俺は強い。俺はやれる。これが一番強い。」

根拠のない自信。脳裏に、T君の明るい「俺たち、やれる子やで!」という言葉が響いた。

それに関連して、新聞を読んでいたら東京大学の開一夫教授と博士課程の柏倉沙耶氏らの研究紹介が目に留まった。
プレスリリースのタイトルは
「楽観的になれば先延ばし癖は改善する!? ―新指標が明らかにする、「希望」の重要性―」

■概要
「今よりも未来のストレスが増えることはない」と信じる未来楽観思考の人は、深刻な先延ばし(注1)癖が少ないことを発見しました。

 本研究では「時系列的ストレス観」と「時系列的幸福観」(注2) という新指標を導入することで、先延ばし癖のある人 が未来に対して抱く印象をこれまでにない新たな切り口でより定量的に測定することが可能になりました。この研究成果から、深刻な先延ばしを減らし、将来のために行動できるようになるには、未来に希望を持つことや、希望を持てるようなサポートを受けることが重要であることが示唆されました。

■用語説明
(注1)深刻な先延ばし
先延ばし研究における「先延ばし」とは、課題を先送りすることによって不適応な結果を招くとわかっていても先延ばしにしてしまうこと。本研究では「日本語版Pure Procrastination Scale」を使用して先延ばしの程度を測定し、上位25%の人たちを「深刻な先延ばし癖があるグループ」と定義した。

(注2)「時系列的ストレス観」・「時系列的幸福観」
過去・現在・未来にわたる様々な時間軸(「過去10年」「過去1年」「過去1ヶ月」「過去1日」「今この瞬間」「明日」「この先1ヶ月」「この先1年」「この先10年」)におけるストレスレベルと主観的幸福度を9件法で測定。(質問例:「過去10年間でどれくらいストレスを感じましたか?」「今この瞬間どれくらい幸せを感じていますか?」「この先1年でどれくらいストレスを感じると思いますか?」) この値を時系列順に並べたものを「時系列的ストレス観」「時系列的幸福観」として定義。

■論文情報
雑誌名:Scientific Reports
題名:Future optimism group based on the chronological stress view is less likely to be severe procrastinators
著者名:Saya Kashiwakura*、 Kazuo Hiraki
DOI:10.1038/s41598-024-61277-y
URL:https://www.nature.com/articles/s41598-024-61277-y

https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20240530140000.html

私には明らかな先延ばし癖がある。今抱えているストレスが未来も続く、減るどころか上昇していく気がしてしまう時がままある。

「できる子やで!」と根拠のない自信で楽観的にいたら、投稿論文も学位論文も先延ばしせずに取り組めるかな。

そういえば、2018年サッカー・ワールドカップ ロシア大会の、ベスト8を決める日本対ベルギー戦。2点リードしていた日本にベルギーが追いつき、アディショナルタイムに逆転した一戦。「ロストフの死闘」と呼ばれる。
私はテレビで見ていた。日本にとって非常にショックの大きい試合だったが、試合後のベルギー選手の話が印象深かった。彼は、(2点リードされている状況だろうが)まったく負けることは考えていなかった、勝つと信じていた、というようなことを話していた。
「もうダメかも」とか「これは厳しい」とかではない。「勝つと信じていたから勝った、そこになんら不思議はない」そういうことなのだそうだ。

私もT君に、ボート部の方に、ベルギーの選手に倣ってみようかな。

私の肌感覚では、投稿論文を取り巻く状況は厳しいし、今年度中に学位を取れるかどうかも怪しくなってきた。でも、「できる子やで!」という声を響かせてみようか。

事実、鬱々として先延ばしすることによって生まれる遅延に苦しんでいる側面はある。楽観的にちょこちょこちょこちょこと進めていったほうが、うまくいくかもしれない。

2024年下半期。明日からは「俺たち、できる子やで!」と呟きつついこうと思う。私ひとりじゃない。だいじな人たち、近くにいる人も遠くにいる人も、noteの読者のあなたもSNSのフォロワーさんもみーんな、

「俺たち、できる子やで!」

<To Do>
・投稿論文2:修正(7月31日〆切)
・書評(News letter用、カジュアルでよし、先方都合で7月7日〆切延長)
・投稿論文1:再査読修正(9月30日〆切)
・講義準備(9月16日 第1回講義:全15回)
・システマティック・レビュー:二次チェック中
・博論本文:
  11月(予備審査委員会立ち上げ願い)
  12月予備審査
  2月口頭試問
        3月修了








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