【エッセイ】マッチョと即興ショートコント「ナンパ」

新しいトレーニングジムがオープンしていることに気付いた。ここ、新しくジムできたんだ、と思っていたら、背後から見知らぬマッチョに話しかけられた。
「おねーさん、おねーさん、ちょっといいですか?」
マッチョは黒のタンクトップだった。新しくできたジムの前に立っている。
「今って時間ありますか?」
「ないです」
私は早足に通り過ぎようとした。新しくできたジムの前に立つマッチョ。パーソナルトレーナーに違いない。全然暇だけど、ジムの入会案内を受ける時間ならないなと思った。
「ちょっと待って。連絡先だけ。連絡先だけ教えて。後日でもいいから」
「えっ?」
後日って? と思ったけど、私はすぐに納得した。ジムの入会申請書に名前と連絡先だけでいいから今記入しろということだろう。明日以降、このマッチョから「で、どうします? 入会しますよね?」と電話やDMが来るということだろうか? 後日マッチョとパーソナルトレーニング体験会? いや、私に後日などない。きっぱりと首を横に振った。それでもマッチョは諦めずについてくる。私はマッチョに話しかけられて以来ずっと早歩きだというのに、マッチョの歩速も衰えていなかった。さすがマッチョだ。新しくジムをオープンするって大変なんだな。こうやって道行く人をひとりひとり呼び止めながら勧誘しなくちゃならないなんて。私は同情と畏敬の念を抱いた。
「すみません、本当に興味がないので……」
「興味がない?」
マッチョが復唱してきた。私は変わらず早足だったけれど、マッチョも負けずについてくる。
「悲しいなぁ。そんなこと言わないでくださいよ」
「すみません、本当に。こういうの長続きしないって、もうわかってるので」
そう。私はかつてエニタイムフィットネスの会員だった。引っ越す前は家から徒歩一分のところにあったのだ。わかってる。ジムの会員になったところで私はトレーニングをしない。初めのうちは熱心に通っても、長続きはしないのだ。
「……今回は違うかもしれないじゃないですか」
マッチョは同情的な言い方をした。
いや、なんで? 私のこと憐れんでる?
私は見ず知らずのマッチョに同情されたことが不服だった。
いや確かに、私の意思は弱すぎる。それは自覚あるけど。でもマッチョと比べてほしくない。マッチョの努力とタフネスは認めるよ。でもダメな人間はいるんだ。見ればわかるでしょ? 私はマッチョじゃない。パーソナルトレーニングを始めても私はマッチョになれない。
私は首を振り続けたがマッチョは食い下がってくる。連絡先だけ、後日でもいいから、と繰り返した。
もうだいぶジムからは遠ざかってしまっていた。職場に戻らなくてもいいのだろうかとマッチョのことが少し心配になった。もしかするとこれくらいはやらないと上の人に「やる気あんのか?」と激詰めされるのかもしれない。大変だな、と思った。しかしそれなら尚更これ以上手間をかけさせるわけにはいかない。なんと言われようと私が再びジムの会員になることはない。はっきり断って諦めてもらおう。そう思い、私はついに決定的なセリフを言い放った。
「本当にジムとか興味ないんです。実はもともとエニタイムフィットネスの会員だったんです、私。でも長続きしませんでした。ジムを変えても同じことだと思います。だから入会はしません」
マッチョが足を止めたので私も立ち止まった。
「そういうことで、すみません」
決まった、と思って歩みを再開しようとした時、マッチョはぽかんとして言った。
「これ、ジムの勧誘じゃないです」
私は目を見開いた。脳に口が直結する。
「じゃあなんなんですか!?」
叫んだ瞬間、沈黙が降りてきた。道を行く人々の雑踏だけが私たちの間に響いた。その時にようやく私は、マッチョがナンパをしていることに気付いた。ナンパをしているマッチョと、ジムの入会案内を受けていると思ってる私。二人のすれ違いは奇跡的に噛み合い、ここまで会話を成立させていたらしい。私はマッチョが関西人であることを切に願った。
「なんでジムの勧誘と間違えてんねん!」
と、今、道ゆく人全員が振り向くような大声で叫んでもらえたら、私はこの恥ずかしさを大爆笑で誤魔化すことができる。もうそんなことになったら逆に仲良くなれる気がする。頼む。ここで渾身の爆ツッコミ!
「あ……」
「あ……」
ほとんど吐息の「あ」が重なる。マッチョは大きな背を丸めた。
「ドモ、スミマセン」
「ア、 イエ……」
私が答えるとマッチョは踵を返し、ジムの方へ引き返していった。どうやら関西人ではなかったらしい。気まずい空気のまま、私たちコンビは解散となった。
「マッチョやからジムのインストラクターのはずという思い込みはもう偏見やろ!」
 登場の機会を永久に失った私の心の中のエセ関西人がツッコミを続けるので、私はにやけながら帰路を急いだ。マスクをしててよかった。
<了>

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