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日常雑感 「毒入りスープのもと」

知人に顔を見るのが上手い人がいる。

私は顔相占いなどは信用していない。
データーを系統だててしまう時点で、どこか大雑把な気がする。
その人は系統にせずに読んでいる。

子供の頃に両親から、他人の様子をじっと見るのは無礼なことだと言われ、成程そういうものかと馬鹿真面目に従順に教えを守っていた私は全く人の顔が読めない。
顔を見ていないからである。
名前は覚えられるのに顔は忘れてしまうので、昔あった人に偶然声をかけられるとなぜ私を覚えているのかとびっくりして名前を聞いてまたびっくりする。
こちらの方がよっぽど失礼である。
両親の言ったことは、じっと見てはいけないけど不快感を与えないように見れば良い、という意味だったのだということを大人になってから漸く気づいたのだった。
我ながらつくづく馬鹿だなと思う。

顔を読むのが上手い人は本当にじっと見ている。
一緒にいると相手に気づかれるのではと冷や冷やする程に、不躾なのではないかと思うほどに。
しかし、案外気にしているのは私だけで周りはそれ程気にしていないようである。
それとも私の知らないその類の世界でのムジノアナの取引があるのだろうか。
そして、ちょっとした変化も見逃さないのである。
あの話をした時の目つきが変だから気をつけた方が良いといえば、数年後そのようになっていたりする。

顔というより表情を読んでいるのだ。
往年のヒット曲「🎶あなたは、嘘つくとーき、右の眉があがる♪」のそれを、恋人でもない初対面の人で出来るのは。随分人生の山を超え、場数を踏んでいるのだなあと感心する、
私のような恋人の表情さえ読めないものは毒入りスープを作るタイミングもわからずただ途方にくれるしかないのである。例えあらかじめ準備してもすぐにその事を忘れてしまい、数十年後に独居老人となり戸棚の奥から毒が出ても、それが何かわからずに暫く間抜け面で一人で首を傾げているのだろう。調味料と間違って使ってしまわぬ事を願うしかない。

ところで、あの歌の一番良いところはやはり「愛するあなたの為」というところだろうなと思う。「愛する+〜の為」ほど怖い言葉はなかなか無い
歌い手の甘い声がそれを加速させ、その割には最終的には恨み言ではなく「怖可愛い」仕上がりになっているところが、作品になっていて良いなと思う。

顔の話に戻す。

そんなこんなで生まれて初めて顔に興味を持った私は、世の中で悪人とされる人くらいは分かる方が良いのかなと思い立った。
善人を見分けるのは難易度が高すぎる。
本当のところはどうか知らないが恐らく世界規模で悪事をしている又はしたであろうという評判の人たちの動画を時々見ては共通点を探した。
よく分からない。
概ねが目に光がなくその辺りにポッカリと二つ深い穴が空いているようにみえるのだがいまいち見分けられる確信はない。
ポッカリと穴の空いた目でも大きな悪事を重ねられるという事は、会えばそれなりに人たらしなのだろうなぁと思う。ギャップ萌えで逆に騙されそうだ。

この人達も身内には善い人なのだろうかとそんなことをふと思い、そういえば「ドン・ヴィトー・コルネオーネ」だって、ファミリーは大切にしていたなぁなどと、他事を考えれば、なんだかどうでも良くなってくる。

ドン.コルネオーネの戸棚の奥に中にある毒入りスープの素の種類が他の人より多いだけじゃないか、そんな乱暴な事を考えている。

(終わり)

引用
「部屋とワイシャツと私」平松愛里
映画「ゴッドファーザー」













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