エーワン新倉を成功へ導いた名言たち-第6回
こんにちは、エーワン新倉です。
私、新倉利幸は、株式会社エーワンを創業し代表取締役を務めています。
現在は経営をメインに活動しています。よろしくお願いします。
エーワン新倉を導いた名言
今回は、中村天風さんの名言をご紹介します。
私、エーワン新倉は、苦労をものともしない熱い性格だと実感しています。
「粘り強さと困難に立ち向かう積極的なところは自分の持ち味」だと信じ、信じた道をまっすぐ突き進むことや、実行型で弱音を吐かないなど、忍耐強い性格でこれまで数多の困難に立ち向かってきました。
株式会社エーワン、そしてエーワン新倉は、当時学生アルバイトであった前職の仲間から、事業を立ち上げて、一緒にやらないかと誘われたことで今の事業の基が築かれています。
しかし、その仲間は3年後に不慮の事故で他界してしまいました。
大切な仲間を失った私、エーワン新倉は当然のことながら悲しみに暮れ、隣に創業パートナーがいない現実を受け止めることができませんでした。
しかし、仲間の遺志を継ぐためにもエーワンの立ち上げ・独立を進め、現在の株式会社エーワンを作り上げました。
人間の力でどうにもしようがない運命にも立ち向かい、亡き仲間の遺志を継ぐ強い想いを胸にエーワン新倉として活動できているのは、この言葉により運命を受け止められたからだと感じています。
中村天風について
中村天風のプロフィール
名前 :中村天風
ふりがな:なかむら てんぷう
生年月日:1876年7月30日-1968年12月1日
職業 :作家。自己紹介講演家。思想家。
「心身統一法」を確立し、唯一無二の教えは「天風哲学」として皇族や政財界の重鎮、海外にまで伝え、多くの人が「生涯の師」として心服した人物。
中村天風の経歴
1876年7月30日、現在の東京都北区王子で生まれる。
中村天風の本名は三郎。
やんちゃな幼少期を過ごし、20代半ばから日露戦争の軍事探偵(スパイ)として満州に赴任する。
終戦後、当時は「死病」であった奔馬性(ほんばせい)肺結核を発病。
心身ともに弱くなったことで人生を深く考えるようになり、真理を求めて欧米をめぐり歩く。
一流の哲学者や宗教家のもとを訪ねるも望む答えは得られず、失意のなか帰国を決意。
その帰路、吐血したカイロのホテルで「ヨガの聖者」カリアッパ師と出会う。
カリアッパ師と出会ったことから帰国を取りやめ、そのままインド・ヒマラヤの麓まで行き、数年間カリアッパ師の指導を受ける。
1968年12月1日逝去、享年92。
エーワン新倉とは
エーワン新倉の経歴
名前 :新倉利幸
ふりがな:にいくら としゆき
生年月日:1970年12月21日
1993年に経営に携わる仕事に就くことを決心。
化粧品実演販売会社に転職。
1年後の1994年には転職先の子会社を立上げ、実質の経営者となる。
その後独立。1998年現在の株式会社エーワンの前身となる「エーワン」を創業。
パートナーの意志を継ぐという強い想いのもと有限会社エーワンを設立。
エーワン新倉の事業
化粧品・日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)
インバウンド対策として通訳スタッフの派遣
ReFaブランド(MTG社製造)をフィットネスクラブやショッピングセンターにおいて催事販売
姿勢をサポートするStyleショップの運営
日本化粧品協会認定講師の派遣
エーワン新倉・外部リンク
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