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何もして貰えなかった

子供が言わんとしていることを言わせずに理解してしまう
子供がしてほしいことをさせずに先回りしてやってしまう
子供を心配しすぎてなんでも管理してしまう、冒険させない

これ、子供の「できる」能力を引き出す機会を奪ってしまっている子育てじゃない? これこそが、「甘やかし」ではないかしら。

「何もして貰えなかった」っていうのが、その人の最大限の能力を引き出す導き方じゃないのかと。

「何もして貰えなかった人」は、して貰えなかったから、できるようになっている。

これ、最大の親からの親という存在からのプレゼントじゃないかしら?
子育てのゴールを「自立」(自律もあるかな)、生まれてきたゴールは、幸せになるための自立と捉えたら?

何もしてくれない(なかった)親は、「自立」を促すためにそうしてくれた、としか思えない。 その捉え方。

自分でできるほど便利で楽で思い通りなことはない。
能力が備わって、かつ、それを愛、感謝、超理性で捉えられたら、幸せ人生を自分で選べた、歩めたということと解釈する。自分が自分の人生を選ぶってこういうことの積み重ねのように思う。

そうそう、看護の世界も、手術後は「早期離床」を促すことが大きな優先目標の一つになる。早期離床、早く体を起き上がらせ動かしてもらうことで、体の血流を促進し代謝を促し、傷の治癒を早める。

共感し、ずっと本人のいうように寝たままにしておく方が、回復のチャンスを遅らせてしまう。

目の前である年老いた男性がショック状態(血圧がみるみる低下し心停止の危機のある状態)で倒れている時、(一応、救命救急士でもあります。)血圧が動脈でも触れないレベルだったので、すぐに頭を低くし、足を高くした。

でも、その妻が、大切な旦那の頭を!と言わんばかりに自分の膝に乗せて高くする。心臓、もうそんな高い位置の頭まで血流送る元気ないのに。。この緊急な状態で説明が要る、でも説明している場合でない。

援助は、やり方を間違うとその人の能力どころか命さえを奪いかねない。

勿論誰しも良かれと思ってそうしているので咎めようと思っていないけど、良かれと思っていることがその逆を招く結果だったら。

「親に何もして貰えなかった」は、ひょっとして、親は、どうしようもなくて放置していたかもしれない。

だけど、その親の存在が愛。

その親だったから、その状態だったから、その子供の能力が、そうやって引き出されたの。

なので、「何もして貰えなかった」は、Happyと捉えられる。「何もしてもらえなかった」から、いま、こうしてできている!

ー感謝ー

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